Ambassador Graham Martin and the Saigon Embassy's Back Channel Communication Files, 1963-1975
本コレクションは、米国が本格的にベトナムへの介入を始める1963年から米軍が撤退しベトナム戦争が終結する1975年まで、サイゴン駐在の米国大使が国務省高官やホワイトハウスの安全保障担当補佐官と交わした約6,000ページの通信記録を収録します。文書の大半はニクソン政権期とフォード政権期のものですが、分量は少ないながらもジョンソン政権期やケネディ政権期のものも含まれます。収録文書の大半は、米国大使(ヘンリー・カボット・ロッジ、エルスワース・バンカー、グラハム・マーティン)と安全保障担当補佐官(マクジョージ・バンディ、ヘンリー・キッシンジャー、ブレント・スコウクロフト)の間のバックチャンネルによる通信ですが、これに加えて、国務長官を筆頭とする国務省高官と大使の通信、南ベトナム政府高官との会談に備えた大使のアジェンダ、南ベトナム政府高官との会談の報告や議事録、大統領の演説や和平交渉での合意文書の原案、軍事報告、諜報が含まれています。
コレクション中の圧巻は、パリ和平会談の時期にエルスワース・バンカー大使とキッシンジャー補佐官の間で交わされた通信で、北ベトナム代表とのパリ極秘会談の内容、合意文書の原案や署名手続きを巡る交渉を含むパリ和平交渉の内容をキッシンジャーがバンカーに伝え、この情報を基にバンカーが南ベトナムのグエン・バン・チュー大統領との会談のアジェンダを準備し、会談後にチュー大統領の反応をバンカーがキッシンジャーに報告するというように、和平交渉の実施時期における米国の動きを逐一フォローすることができる貴重な文書です。また、ベトナム情勢、チュー大統領との交渉、休戦協定締結後の外交駆け引き、合意内容の履行、休戦違反への対応策といった事柄に関するキッシンジャーとバンカーの考えを知ることができます。さらに、バンカーが和平交渉に関するニクソン大統領の主要な演説をチュー大統領に伝え、チュー大統領の反応をホワイトハウスに報告していたことも分かります。
ヘンリー・カボット・ロッジが南ベトナム大使を歴任した時代の文書は、1963年の軍部によるクーデタと南ベトナム初代大統領ゴ・ジン・ジエムの暗殺、1964年8月のトンキン湾事件への報復として北爆を開始し、ベトナム戦争への介入を本格化する時期のもので、国務長官のディー・ラスクやマクジョージ・バンディ、大統領補佐官との通信、南ベトナム政府高官との会談の記録等が収録されています。
最後のサイゴン大使となったグラハム・マーティンは1973年3月からサイゴンが陥落する1975年まで大使を務めました。大使就任後にキッシンジャーやスコウクロフトとの間で交わした通信は、休戦、南ベトナムへの支援、南ベトナム高官との連絡、米国人のベトナムからの撤退等を扱っています。国務省高官と交わした通信の多くは、ベトナムの状況に関する他国(ソ連、フランス、サウジアラビア、ベトナム国際監視委員会のメンバー国)との外交関係に関わるものであり、特定の個人のためのベトナム脱出手配のような個別具体的な事例から、米国のベトナム介入の歴史とその中での自身の役割に関する哲学的省察まで、広範な主題が扱われています。また、1976年の米国議会での証言用にマーティンが集めた文書は米軍の様々な機関が作成したものであり、本コレクション中では異色のものです。
(マイクロ版タイトル:Gerald R. Ford and Foreign Affairs, Part 1: National Security Advisor's Files, Section 3: Saigon Embassy Files from Ambassador Graham Martin)