Argentina: Records of the U.S. Department of State, 1960-1963
本データベースは米国国立公文書館が所蔵する国務省一般記録群(RG59)のセントラル・ファイルの中から、米国国務省のアルゼンチン国内事情に関する外交文書約19,600ページを電子化して提供するものです。収録文書は米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わした往復書簡です。データベース化に際しては、マイクロフィルム版「アルゼンチン国内事情関係米国国務省記録集 1960-1963(Records of the Department of State Relating to the Internal Affairs of Argentina, 1960-1963)」(Scholarly Resources)を電子化しました。
収録文書は米国国立公文書館のファイリング・システムに準じた文書番号が付与されています。国務省一般記録群(RG59)は、1910年から1963年まで十進分類法に則ったファイリング・システムによって整理されていたため、デシマル・ファイル(Decimal File)と呼ばれています。このシステムでは文書番号は、大分類番号(Class Number)+国番号(Country Number)+小分類番号(Subtopic Number)で構成されています。本データベースに収録される文書の大半は文書番号735,835,935が付与されたものです。文書番号735はClass Number 7(Internal Political and National Defense Affairs)とCountry Number 35(Argentina)を合わせたもので、アルゼンチンの内政・国防事情を、文書番号835はClass Number 8(Internal Economic, Industrial, and Social Affairs)とCountry Code 35を合わせたもので、アルゼンチンの国内経済・産業・社会事情を、文書番号935はClass Number 9(Communications, Transportation, Science)とCountry Code 35を合わせたもので、アルゼンチンの通信・交通・科学を意味します。収録文書の半数以上は国内経済・産業・社会事情に関するものです。
1955年、長く独裁者として君臨したフアン・ペロンが軍事クーデタで失脚しました。しかし、ペロン失脚後もペロン派は大きな政治勢力を保ち、1958年の総選挙で急進党のアルトゥーロ・フロンディシは、ペロン派の支持を得ることで政権を獲得することができました。しかし、石油開発のための外資導入など、積極的な経済政策の推進が民族主義派の反発を招く一方で、ペロン派に対する宥和政策や成立間もないキューバのカストロ政権に対する制裁への消極姿勢が軍部に嫌われ、フロンディシは1962年、軍により追放されました。
(マイクロ版タイトル:Records of the Department of State Relating to the Internal Affairs of Argentina, 1960-1963)