Country Intelligence Reports/State Department's Bureau of Intelligence and Research Reports USSR (1941-1961)
アメリカの諜報活動は中央情報局(Central Intelligence Agency)のような大統領直属の連邦機関や国防総省の国家安全保障局(National Security Agency)によって担われますが、その他の連邦政府の省庁も諜報活動を行なっています。国務省もその一つで、外交を統括する国務省の諜報活動は、アメリカと外交関係を結ぶ諸外国に関する政治外交関係の情報収集や外国の諜報活動から自国の機密情報の漏洩を防護する防諜を主要な守備範囲とし、国務長官、国務省役人、外交官の職務遂行を情報面から支援しています。
国務省で諜報活動を行なう部局は情報調査局(Bureau of Intelligence and Research, INR)です。情報調査局の起源は1940年代初頭に遡ります。日本との開戦が始まる5ヵ月前の1941年7月、ルーズベルト大統領はウィリアム・ドノバン(William J. Donovan)の進言を受け、諜報活動を統括する機関として情報調整局(Office of the Coordinator of Information, COI)を創設、ドノバンを責任者に任命しました。しかし、情報調査局は期待された成果を達成することができなかったため、1942年6月に大統領は情報調査局を戦略情報局(Office of Strategic Services, OSS)に改組しました。その後、第二次大戦終了後の1945年9月、トルーマン大統領が戦略情報局を解散、1947年には国家安全保障法に基づき、中央情報局が創設されました。戦略情報局が解散された時、その研究分析機能は国務省に移管されました。こうして、国務省の中に諜報活動を担当する部局が設置されることになりました。当初の組織名は暫定研究情報局(Interim Research and Intelligence Service, IRIS)でしたが、組織の再編と組織名の変更を経て、1957年に情報調査局に改組され、現在にいたっています。情報調査局は1940年代の情報調査局時代から、諸外国に関する情報を収集し、報告書を作成しました。報告書は、”R & A Report”、”OIR Report”、”ORI Report”, “OCL Report” “IR”等の名称が使われていました。
本コレクションは、1941年から1961年までのソ連に関する報告書を集めたものです。収録される報告書は1ページの短いものから100ページを超える長いものまで様々ですが、収録数410点、総ページ数13,317ページ、報告書1点当たりの平均ページ数は32ページです。
《収録報告書の一例》
- 「ソ連の軍事的潜在能力」(R & A Report No. 584, 1942年11月3日)
- 「ロシア軍の冬季攻勢 1942年-1943年」(R & A Report No. 841, 1943年4月14日)
- 「ソ連極東地域における食糧の状況」(R & A Report No. 956, 1943年6月24日)
- 「ロシアの国民所得と軍事支出」(R & A Report No. 1004, 1943年9月8日)
- 「ロシアと独ロ単独講和の問題」(R & A Report No. 1193, 1943年9月14日)
- 「ソ連はドイツの合同占領と合同軍政に参加する意向があるか」(R & A Report No. 1272, 1943年9月22日)
- 「ロシアの対外経済関係と国際通貨安定化への関心」(R & A Report No. 1570, 1943年12月13日)
- 「ロシアの新疆からの撤退」(R & A Report No. 1223, 1943年12月28日)
- 「ロシアにおける共産党の現在の役割」(R & A Report No. 1552.1, 1944年6月22日)
- 「ソ連の鉄鋼生産と輸出 1939年-1944年」(R & A Report No. 2160, 1944年6月14日)
- 「ソ連の民間人の健康」(R & A Report No. 1688, 1944年10月31日)
- 「戦後におけるソ連の潜在的能力と意図」(R & A Report No. 2669, 1945年1月27日)
- 「戦争犯罪人を処罰するソ連の意図」(R & A Report No. 1988.1, 1945年4月30日)
- 「ソ連のマンパワーに関する最新の覚書」(R & A Report No. 2524, 1944年10月9日-1945年7月16日)
- 「ロシア、極東の戦争に参戦」(R & A Report No. 3230, 1945年8月)
- 「ソ連における新聞と出版の統制」(R & A Report No. 2949, 1945年12月15日)
- 「ソ連農業政策の新局面」(OCL Report No. 4206, 1946年11月1日)
- 「ソ連における知識人の粛清」(OCL Report No. 4207, 1946年11月13日)
- 「スターリンの死あるいは身体障碍が及ぼす蓋然的効果」(OIR Report No. 4264, 1947年4月18日)
- 「ソ連政府の安定性と効率性」(OIR Report No. 4340.1, 1947年6月18日)
- 「満州へのソ連の経済進出の基礎としての長春鉄道合意」(OIR Report No. 4519, 1947年10月1日)
- 「戦後ソ連の対日態度」(OIR Report No. 4406, 1948年3月15日)
- 「ソ連の物価とルーブルの購買力」(OIR Report No. 5205, 1950年3月6日)
- 「ソ連の金融政策と冷戦」(OIR Report No. 5265, 1950年6月5日)
- 「ソ連における強制労働」(Intelligence Report No. 5885, 1952年6月2日)
- 「スターリンの死に対するソ連の調整」(IR 6226, 1953年3月9日)
- 「G.M.マレンコフの公式声明」(IR No. 6244, 1953年5月8日)
- 「ベリヤ事件の暫定的評価」(IR No. 6356, 1953年7月21日)
- 「ソ連官僚制の効率化」(IR No. 6796, 1955年1月20日)
- 「ソ連共産党第20回党大会と「戦争の不可避性」ドクトリン」(IR No. 7284, 1956年)
- 「ソ連の都市住宅」(IR No. 7352, 1956年)
- 「ソ連市民の西側に関する学習の増大」(IR No. 7487, 1957年)
- 「モスクワ、東西対話に向け有利な条件を模索」(IR No. 7645, 1958年)
- 「米ソ貿易拡大に向けたフルシチョフの提言」(IR No. 7749, 1958年)
- 「フルシチョフ、急進的教育改革を提言」(IR No. 7827, 1958年)
- 「ソ連圏における集団化の最前線」(IR No. 7904, 1958年12月19日)
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関連分野
- 東欧・ロシア研究
- 第二次世界大戦