FBI File: House Committee on Un-American Activities (HUAC)
下院非米活動委員会は1938年、下院非米活動調査特別委員会(House Special Committee to Investigate Un-American Activities, HUAC)として設立されました。それまでも破壊活動に関する議会の調査活動は行われていましたが、主としてファシズムや反ユダヤ主義を対象とするものでした。リベラルなニューディール政策が実施された1930年代、ニューディール政策を推進する政府省庁に共産主義者や共産主義のシンパが潜んでいるとの嫌疑が保守派の政治家によって抱かれるようになり、破壊活動に対する議会の調査権限を強化する手段の一環として、下院特別委員会の設置が行われました。委員長には、テキサス州選出の保守派の民主党議員マーティン・ディースが就任しました。委員会は1945年に常設委員会になりました。委員会が人々の注視を集めるようになるのは、第二次大戦後です。1946年以後、共和党保守派の主導の下に置かれるようになった委員会は、映画界を標的にして、ハリウッドへの共産主義の浸透を調査すべく、監督、脚本家ら10名の映画人(「ハリウッド・テン」)を喚問しました。彼らは憲法修正第5条に基づき証言を拒んだため、議会侮辱罪で起訴され、有罪が確定しました。また、疑わしい映画人のブラックリストも作成され、チャップリンやブレヒト等の著名人も含まれていました。さらに、赤狩り旋風は映画界を超えて、作曲家のレナード・バーンスタイン、作家のラングストン・ヒューズ、劇作家のリリアン・ヘルマン、作家のダシール・ハメット、化学者のライナス・ポーリング等、各界の著名人に調査の手は及びました。文化・芸術の分野と並び、全米の関心を集めたのは、政府内への共産主義の浸透に関する委員会の調査です。特に、元国務省高官アルジャー・ヒス(Alger Hiss)の喚問は注目を集めました。ヒスは国務省の中堅幹部として、第二次大戦勃発直後から、後に国際連合に結実する戦後集団安全保障体制のグランドデザイン設計業務に携わり、ルーズベルト大統領に同行しヤルタ会談に出席し、国連憲章を採択した1945年8月のサンフランシスコ会議では事務局長として手腕を発揮するなど、1940年代の米国外交の中枢のポジションにありましたが、1930年代に共産党の地下組織の一員だったと、元共産党員で『タイム』誌の編集長のホイテッカー・チェインバースが公聴会で証言を行ないました。ヒスはチェインバースの証言を否定しましたが、偽証罪で起訴され、裁判で有罪が確定しました。50年代の赤狩り旋風が静まると、非米活動委員会の活動は弱まります。それでも冷戦が持続する限り、急進的な左翼活動を調査し、アメリカの安全保障にとっての脅威の芽を摘むという非米活動委員会の大義名分は、一定の支持を集めました。非米活動委員会は1975年に廃止されました。
本コレクションは、連邦捜査局(FBI)の下院非米活動委員会(HUAC)関係文書8,100ページを収録します。FBIとHUACはHUACの活動期間にわたり、共産主義者の調査活動において協力関係を維持しました。本コレクションは3部に分かれています。第1部はHUACのマーティン・ディース委員長とルーズベルトとトルーマンの民主党政権が相克関係にあった1938年から1945年までの期間をカバーし、第2部はFBIとHUACが調査対象を選んだプロセスを記録する1946年から1949年までの期間をカバーし、第3部はHUACが他の議会調査委員会からFBIを防衛しようと試みた1950年以後をカバーします。
(マイクロ版タイトル:FBI File on the House Committee on Un-American Activities (HUAC))
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