General George C. Marshall's Mission to China, 1945-1947
米国は第二次大戦中から、日本撤退後の中国には親米政権が成立し、親米の中国と米国が東アジア世界の平和を維持するという戦後構想を抱いていました。親米の中国とは国民党を主体とする政権であり、国民党による統一政権の樹立を支援することが対中政策の基本に据えられました。しかし、日本が降伏し、第二次大戦が終結した時点での中国の状況は、米国の思惑とはかけ離れたものでした。共産党が各地の重要な戦略地点を支配していたことは、米国が共産党の実力を軽く見ていた実態を暴き出しました。また、第二次大戦中から中国政治の実情を直に目にした米国の軍事指導者や外交官の多くは、国民党の腐敗した政治に対する失望の念を頂いていました。さらに、事態を複雑にしたのは、日本降伏後にソ連軍が満州に駐留し、撤退を延期していたことです。国民党を主体とする統一政権の樹立という当初の目的を実現するために、米国は新たな打開策の実施を迫られます。このような状況を背景として、トルーマン大統領は、陸軍参謀本部長の職を辞任したばかりのジョージ・マーシャルを長とする使節団を中国に派遣し、事態の打開を探りました。
マーシャルに与えられた任務は、国民党、共産党、中国民主同盟等の第三の諸党派からなる統一政権を実現させるべく、中国側の当事者との交渉を成功させることでした。そして、この統一政権は言うまでもなく親米的で、また、広大な中国市場における機会をアメリカに提供する政権でなければなりません。当初、交渉は成功裡に進められました。1946年1月10日、マーシャルの調停が功を奏し、国民党の張群、共産党の周恩来、マーシャルの三者間で停戦協定が結ばれました。これと並行する形で、1945年の国民党の蒋介石と共産党の毛沢東の重慶会談で合意された内戦の回避と統一政権の樹立を骨子とする双十協定を具体化するために、政治協商会議が重慶で開催され、民主的統一政権の形成に向けた綱領が採択されます。2月25日には、国民党と共産党双方の軍を削減し、共産党軍と国民党軍を国軍に統合する整軍法案が調印されます。
しかし、国民党と共産党双方の強硬派の反対に加え、ソ連軍撤退後の満州を巡る合意が得られなかったため、事態は膠着します。6月30日、停戦協定は更新されることなく期限を迎え、調停の機会も失われます。その後も半年にわたり交渉は続けられたものの、合意に達することはありませんでした。マーシャルは、国民党と共産党の双方に対する失望の念を強くし、両党内部の穏健派勢力とその他の民主的勢力を糾合し、単一の自由主義政党を形成することで中国政治を再編させることを期待しましたが、実を結ぶことはありませんでした。1947年1月7日、マーシャルは所期の目的を達成することがないまま、中国を後にしました。
本コレクションは、米国国立公文書館が所蔵する国務省ロトファイル「54 D 270」に収録される全文書を提供するものです。このファイルは、「陸軍省の記録(War Department records)」、「政治問題に関するマーシャル使節の記録(Records of the Marshall Mission relating to Political Affairs)」、「軍事問題に関するマーシャル使節の記録(Records of the Marshall Mission relating to Military Affairs)」、「中国課の記録(Records of the Division of Chinese Affairs)」、「ジョン・カーター・ヴィンセントの記録(Records of John Carter Vincent)」、「マーシャルの記録(Marshall’s Report)」の6部で構成されています。
(マイクロ版タイトル:Complete Records of the Mission of General George C. Marshall to China)
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