ドレフュス事件文書集
本コレクションは、ハーバード大学ホートン図書館が所蔵するドレフュス事件関係資料約600点を提供します。
収録資料はアルフレッド・ドレフュス自身の著作や書簡、ドレフュス派と反ドレフュス派の著作、裁判関係資料の他、図版資料や事件を題材にした文学作品、イギリス、ドイツ、イタリアなどフランス国外の資料など、ドレフュス事件がフランス国内外に大きな影響力をおよぼしたことを示します。フランス近代史はもちろん、ナショナリズムや反ユダヤ主義の歴史、知識人の歴史に関心をもつすべての人々にお薦めいたします。
1894年、フランスの軍事情報がドイツ軍に流出した事件が発生し、捜査の結果、参謀本部のアルフレッド・ドレフュス将校が容疑者として逮捕され、スパイ容疑で軍法会議にかけられました。
ドレフュスはフランス東部のアルザス出身のユダヤ人でした。当時、反ユダヤ人感情が社会に蔓延していたところに、四半世紀前の普仏戦争によってドイツに併合されたアルザス出身であったことがドレフュス犯人説に信憑性を与えた結果、当人は否認したにもかかわらず有罪宣告を受け、南米のディアブル(悪魔)島に流刑の身となりました。
その後、軍部内に真犯人がいることが判明、再審を請求する声が起こりますが、軍部は冤罪を認めようとしません。しかし、1898年、作家のエミール・ゾラが「私は弾劾する」との大統領宛公開書簡を『オーロール』紙に掲載するにおよび、国論は再審を要求するドレフュス派と再審に反対する反ドレフュス派に真っ二つに割れ、軍事情報流出事件は作家、学者、政治家、思想家、教会関係者らを巻き込んだ一大事件へと発展しました。
再審請求の声に押される形で1899年、再審が行われたものの、再びドレフュス有罪との判決が下されました。この判決に対してはフランス内外で批判が巻き起こり、大統領によってドレフュスに恩赦を与えることで政治的決着が図られました。ドレフュスに無罪判決が下されたのは事件発生から12年後の1906年のことです。
事件発生の年に極右団体「アクション・フランセーズ」が創設されるなど、事件はナショナリズムや反ユダヤ主義を一定の政治勢力化することに寄与しただけでなく、左派陣営の政界再編にも影響を及ぼしました。
また、作家ゾラの行動を契機に「知識人」という言葉が誕生したことに象徴される通り、20世紀に本格化する知識人の時代の幕開けを告げたのもドレフュス事件です。ドレフュス事件は、様々な意味で20世紀の原点として歴史的に位置づけることができます。
《収録資料の例》
〈事件当事者〉
・アルフレッド・ドレフュス『わが生涯の5年 1894年-1899年』
・アルフレッド・ドレフュス『再審請求への証拠として1899年9月9日に陳述された回想録』
・アルフレッド・ドレフュス『子息により公開された回想録と書簡集』
・フェルディナン・エステラジー『ドレフュス事件の真実』
・フェルディナン・エステラジー『1900年2月22日以降数日の間になされたロンドン駐在フランス領事への私の供述』
・フェルディナン・エステラジー『エステラジー少佐の完全なる供述と釈明』
〈ドレフュス派〉
・エミール・ゾラ『若者への手紙』
・エミール・ゾラ『フランスへの手紙』
・エミール・ゾラ『前進する真実』
・エミール・ゾラ『真実(四福音書叢書)』
・エミール・ゾラ『「我、弾劾す」50周年記念版(直筆原稿の複写版)』
・『エミール・ゾラ:テキストと注釈』(1902年のゾラの死の直後に刊行されたもので、葬儀でのアナトール・フランスやアベル・エルナンらの弔辞、ゾラの「我、弾劾す」のテキスト、シャルル・ペギーによるゾラ著作集解題、書誌等を含む)
・ヴィクトル・バシュ『エミール・ゾラ、パンテオンへ:1908年6月6日リヨン大劇場での講演』
・ベルナール・ラザール『誤審:ドレフュス事件の真実』
・ベルナール・ラザール『反ユダヤ主義に抗して:ある論争の歴史』
・ベルナール・ラザール『いかにして無実の人に有罪判決を下すか』
・ジョゼフ・レナック『ディアブル島へ』
・ジョゼフ・レナック『良心:ピカール中佐』
・ジョゼフ・レナック『歴史の教訓』
・ジョゼフ・レナック『真理による正義に向けて』
・ジョゼフ・レナック『売国奴たちの黄昏』
・ジョゼフ・レナック『新事実』
・ジョゼフ・レナック『完全な犯罪』
・ジョゼフ・レナック『ドレフュス事件:1894年の裁判』
・ジョゼフ・レナック『ドレフュス事件の歴史:カヴェニャックとフェリックス・フォーレ』
・ジョゼフ・レナック『豊富な資料に基づくドレフュス事件の歴史』(独訳)
・セレスタン・ブーグレ『フランスの伝統:1899年2月17日の講演』
・「『シエークル』紙に掲載された1897年8月から10月にかけてのシュレール=ケストネルとルブロワの手紙」
・『シュレール=ケストネル』(1908年2月11日のリュクサンブール公園シュレール=ケストネル記念像除幕式の開催に合わせて『ジュルナル・ダルザス・ロレーヌ』誌に掲載された顕彰記事)
・『シュレール=ケストレル』(1908年2月11日のリュクサンブール公園シュレール=ケストネル記念像除幕式でのブリッソン、ラランス、ルブロワらの講演録)
・シャルル・ペギー「ドレフュス事件と社会党の危機」(『ルヴュ・ブランシュ』誌掲載)
・ジョルジュ・クレマンソー『不正行為』
・ジョルジュ・クレマンソー『補償に向けて』
・ジョルジュ・クレマンソー『正義に抗して』
・ジョルジュ・クレマンソー『裁判官たち』
・ジョルジュ・クレマンソー『軍事裁判』
・ジョルジュ・クレマンソー『軍隊の不正』
・ジョルジュ・クレマンソー『不名誉』
・ジョルジュ・クレマンソー『ル・ブロック(週刊誌)』(1901年から1902年)
・ルドヴィック・トラリュー『ドレフュス事件に関する陸軍大臣ゴドフロワ・カヴェニャック氏への手紙』
・ルドヴィック・トラリュー『共和国の防衛のために』
・ルドヴィック・トラリュー『教権主義とドレフュス事件』
・イヴ・ギヨ『ドレフュス裁判の再審:事実と裁判資料』
・イヴ・ギヨ『無実の者と売国奴:ドレフュスとエステラジー:法務大臣の義務』
・イヴ・ギヨ『世紀の事業:1901年4月22日のグラントリアン会議』
・ラウル・アリエ『ヴォルテールとカラス事件:18世紀の誤審』
・フランシス・ド・プレサンセ『英雄:ピカール中佐』
・フランシス・ド・プレサンセ『祖国という観念:1899年2月9日の講演』
・ジャン・アジャルベール『サーベルの下で』
・ジャン・アジャルベール『レンヌ裁判の内実』
・『人権同盟1899年12月23日総会議事録』
・『人権同盟1900年6月2日総会議事録』
・『人権同盟規約、中央委員会並びに地方委員会委員名簿』
・ジャン・ジョーレス『証拠:ドレフュス事件』
・ジャン・ジョーレス『帝国の偽造:1903年4月6日、7日の代議院審議での演説』
・ピエール・キヤール『アンリ中佐の記念碑』
・アナトール・フランス『暗黒党』
・ローラン・タイヤード『愚か者とならず者』
・セバスチャン・フォーレ『アナーキストとドレフュス事件』
・ガブリエル・モノー『ドレフュス事件の公正な解説』
・ピエール・ワルデック=ルソー『共和国の防衛』
・アンリ・ブリッソン『ドレフュス事件の回想:議会速記録等の資料を付す』
・アナトール・ルロア=ボーリュー「プロテスタント的精神とユダヤ的精神」(『ラ・スメーヌ・ポリティーク・エ・リテレール』掲載)
・アナトール・ルロア=ボーリュー『反ユダヤ主義』
・アナトール・ルロア=ボーリュー『憎悪の教義:反ユダヤ主義、反プロテスタンティズム、反教権主義』
・ユルバン・ゴイエ『国民に対抗する軍隊』
・ユルバン・ゴイエ『ある国家反逆行為の歴史 1899年-1903年』
・ユルバン・ゴイエ『コンデ軍:亡命者の報復』
・ユルバン・ゴイエ『ル・ビュー・コルドリエ』誌(1903年2月21日号から4月4日号まで)
・ユルバン・ゴイエ『ラ・ヴィエィエ・フランス』誌(1919年1月号)
・ユルバン・ゴイエ『ユダヤ的恐怖政治:ユダヤ的社会主義』
・ユルバン・ゴイエ『クレマンソーの真実の姿』
・キャロリーヌ・レミー・セヴリーヌ『光の方へ:真に迫った印象』
・アルフォンス・オラール『論争と歴史』
〈反ドレフュス派〉
・モーリス・バレス『民族主義の舞台と教義』
・モーリス・バレス『私がレンヌで見たこと』
・ジュール・ルメートル『フリーメーソン』
・ジュール・ルメートル『「フランス人の祖国」第一回会議』
・ジュール・ルメートル『「フランス人の祖国」の活動』
・ジュール・ルメートル、ゴドフロワ・カヴェニャック『民族主義運動:講演録』
・ジュール・ルメートル『新しい心理』
・フェルディアナン・ブリュヌティエール『裁判の後で:若干の「知識人」への応答』
・ポール・デルレード『自身を語る』
・マルセル・デュボワ『「フランス人の祖国」第二回会議』
・レオン・ブロワ『私は自身を弾劾する』
・アルベール・ゴーティエ・ド・クラニー『誤審』
・エドゥアール・ドリュモン『我々を支配するもの:フリーメーソンの専制』
・エドゥアール・ドリュモン『ユダヤ人対フランス:新しいポーランド』
・エドゥアール・ドリュモン創刊の日刊紙『ラ・リーブル・パロール』年鑑(1893年から1907年まで)
・『パンテオン裁判:陪審員の前に立つグレゴリ、ドレフュス、そしてゾラ、再審の再審』(『ラ・リーブル・パロール』事務局)
・『ラ・リーブル・パロール・イリュストレ』(1893年7月17日号から1897年9月25日号)
・アンリ・デュトレ=クロゾン『エステラジー』(エディシオン・ド・ラクション・フランセーズ)
・アンリ・デュトレ=クロゾン『メルシエ将軍:ドレフュスを裁く者』(エディシオン・ド・ラクション・フランセーズ)
・アンリ・デュトレ=クロゾン『マリー・ジョルジュ・ピカール』(エディシオン・ド・ラクション・フランセーズ)
・アンリ・デュトレ=クロゾン『真実、正義、祖国』(エディシオン・ド・ラクション・フランセーズ)
・アンリ・デュトレ=クロゾン『ドレフュス』(エディシオン・ド・ラクション・フランセーズ)
・アンリ・デュトレ=クロゾン『ドレフュス事件の概要』
・モーリス・ピュジョ『ドレフュス事件以後:1898年12月19日の『エクレール』紙に掲載された公開書簡』(『アクション・フランセーズ』事務局)
・『愛国者同盟年鑑 1902年版』
・『ア・バ・レ・ティラン!ジュルナル・アンティマソニック』(1900年4月21日号から1900年12月29日号まで)
・『ラ・バスチーユ:ジュルナル・アンティマソニック』(1902年11月29日号から1907年12月28日号まで)
〈裁判・議会関係資料〉
・『セーヌ県重罪院と破毀院におけるゾラ裁判速記録と附属資料集(1898年2月7日から2月23日まで、3月31日から4月2日まで)』
・『1898年2月の審問でのフェルナン・ラボリ氏の口頭弁論』
・『ウルバン・ゴイエのためのアルベール・クレマンソーの弁論』
・『破毀院でのピカール裁判速記録(1899年12月8日、3月2日、3日)』
・『ドレフュス裁判再審破毀院口頭弁論』
・『ドレフュス裁判再審破毀院証人尋問』
・『ドレフュス裁判破毀院刑事部証人尋問』
・『ドレフュス裁判再審破毀院速記録(1899年10月27,28,29日)
・『ドレフュス裁判破毀院刑事部第2回再審証人尋問』
・『1899年8月12日のレンヌ軍法会議でのメルシエ将軍供述』
・『レンヌ軍法会議ドレフュス裁判速記録(1899年8月7日から9月9日)』
・『レンヌ軍法会議再審破毀院論告・口頭弁論等資料集(1904年3月3、4、5日)、ドレフュスの回想録等の付属資料付』
・『レンヌ軍法会議再審破毀院論告・口頭弁論等資料集(1906年6月15日-7月12日)
・『ドレフュス事件関係議会速記録』
・『ボルドロー(明細書):レンヌ軍法会議でのベルティヨン氏とヴァレリオ大尉の供述の理工科学校卒業生による検討』
〈事件を題材にした文学作品〉
・フェルナン・グレーグの詩「ピカール中佐へ」
・アンドレ・ボーニエ『デュポン=ルテリエ家:事件のあいだのある家族の歴史』
・『永遠の別れ:ドレフュス船長とその貞節な夫人を襲った恐るべき運命』(英語)
・ハンス・レーフィッシュ、ヴィルヘルム・ヘルツォーク『ドレフュス事件』(ジャック・リシュパンによるフランス語での3幕劇)
〈外国資料〉
・フレデリック・コーンウォリス・コニーベア『ドレフュス事件』(英語)
・ウィリアム・ハーディング『ディアブル島の囚人ドレフュス:ドレフュス事件の全容』(英語)
・アーネスト・アルフレッド・ヴィゼテリー『イギリスのゾラ』(英語)
・アーネスト・アルフレッド・ヴィゼテリー『エミール・ゾラ、作家にして社会改革者:その生涯と作品』(英語)
・ジョージ・ワリントン・スティーヴンス『ドレフュスの悲劇』(英語)
・『ドレフュスとレンヌ軍法会議:真実と法を巡る5年間の闘い』(ドイツ語)
・ウィーンの雑誌『炬火』に掲載されたドレフュス事件に関するヴィルヘルム・リープクネヒトの3つの書簡(仏訳)
〈図版資料〉
・『ドレフュス事件裁判弁護人150人の肖像写真』(アーロン・ゲルシェル撮影)
・『レンヌへの5週間』(写真200枚:アーロン・ゲルシェル、文・ルイ・ロジェ)
・ジョン・グラン=カルトレ『ドレフュス事件とイメージ』(フランス人と外国人の266枚の諷刺画付)
・ジョン・グラン=カルトレ『ドレフュス事件とイメージ』(フランス、ドイツ、イギリス、オーストリア、イタリア、スイス、ベルギー、オランダ、デンマーク、ルーマニア、ロシア、アメリカの諷刺画)
・ジョン・グラン=カルトレ『イメージで見るゾラ:280枚の図版(肖像画、諷刺画等)を含む』
・週刊諷刺雑誌『ル・シフレ』(1898年2月17日号から1899年6月16日号まで)
・『ドレフュス事件関係万国諷刺画集』(ドイツ語)
・『リトグラフ作家によるピカールへのオマージュ』
・『ラ・ヴィ・イリュストレ』誌1899年特別号「イメージで見るドレフュス事件」
・『ル・モンド・イリュストレ』誌1899年5月18日号「ドレフュス事件 1894年11月から1899年5月まで」
・ルネ・ジョルジュ・エルマン-ポール『200枚のデッサン 1897年-1899年』
・『ドレフュス事件関係フランス内外の図版ポスター記述目録』
〈その他〉
・ジョゼフ・カイヨー『私の回想』
・エミール・コンブ『世俗主義の運動(1902年-1903年)』(アナトール・フランス序文)
・アンリ・ディロン『国民における軍事的精神:説教』
・フランソワ・ブルナン『ユダヤ人と我々の同時代人』
・フェルディナン・エドュアール・ビュイソン『監獄のピカール大佐:1899年5月10日の談話』
・ルイ・アヴェ『フランス市民の義務』
・アンリ・ダガン『反ユダヤ主義に関する調査』
・ジャン・カレール『エミール・ゾラへの応答』
・シャルル・アルベール『エミール・ゾラ氏へ』
・ジャック・ド・ビエ『ボルドロー(覚書)の誤りとドレフュスの手紙』
・ジャック・ドゥフランス『ユダヤ人の国外追放』
・アドルフ・タバラン『社会主義と反ユダヤ主義』
・ジョルジュ・ボナムール『ゾラ裁判:傍聴人の印象』
・ジャン・ベルナール『1899年レンヌ裁判:傍聴人の印象』
・サン・ジョルジュ・ド・ブーエリエ『進みゆく革命』
・アルベール・レヴィル『知識人の軌跡:ドレフュス事件に関して』
・ジョルジュ・ソレル『ドレフュス革命』
・ジョゼフ・シャルモン『軍隊と民主主義』
・ジュール・スーリー『民族主義運動 1899年-1901年』
・シャルル・スピアール『シャブロル砦の舞台裏』
・ポール・コパン・アルバンセリ『オカルト的影響力』
・ジョルジュ・シャランソル『ドレフュス事件と第三共和政』
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