フランス文芸誌『メルキュール・ド・フランス』1672-1810年
17世紀初頭、ニュースを届ける媒体として、オランダ、ドイツ、フランス、イギリス等のヨーロッパ諸国で新聞が誕生しました。雑誌も17世紀に起源を持ちます。『ジュルナル・デ・サヴァン(Journal des Savants)と『フィロゾフィカル・トランザクションズ(Philosophical Transactions)』が1660年代にパリとロンドンで時を同じくして創刊されましたが、これは科学者や学者の間で流通された刊行物で、現在の学術雑誌の祖型です。学者限定ではなく、広く文人、教養のある人々、文学愛好家を対象にした雑誌もこの頃に現れます。1672年にパリで創刊された『メルキュール・ガラン(Mercure Galant)』、18世紀初頭にロンドンで創刊された『タトラー』、『スペクテイター』などの刊行物です。これらの出版物は、サロンやコーヒーハウスなどの空間と相俟って、人々の交流と情報の交換に貢献し、啓蒙主義を支える重要なインフラとして機能しました。
『メルキュール・ガラン』は劇作家のジャン・ドノー・ド・ヴィゼにより創刊されました。ドノー・ド・ヴィゼの後、編集発行人はトマ・コルネイユ、シャルル・リヴィエール・デュフレニー、アルドゥアン・ルフェーヴル・ド・フォントネー、ピエール・フランソワ・ブーシェ、アントワーヌ・ド・ラロック、ルイ・フュズリエ、シャルル・ブリュエール、ピエール・レモン・ド・サンタルビーヌ、ギヨーム・トマ・レーナル、ルイ・ド・ボワシー、ジャン・フランソワ・マルモンテル、アントワーヌ・ド・ラ・プラース、ジャック・ラコンブ、シャルル・ジョゼフ・パンクークに引き継がれました。誌名は、創刊時の『メルキュール・ガラン』から『ル・ヌーヴォー・メルキュール・ガラン』、『ル・ヌーヴォー・メルキュール』、『メルキュール』を経て、1724年『メルキュール・ド・フランス』に変更され、以後18世紀を通じてこの誌名で発行され、現在はこの誌名で通称されています。収録記事は文芸作品の他、新刊書の書評、広告、文壇の話題、パリや宮廷の話題、上流階級のファッションや習俗の話題、劇評や劇場の話題が掲載されました。検閲制度の下、政治的議論が厳しく制限されていたアンシャン・レジームのフランスでは、文芸や美の話題が政治的意味を担うこともありました。とりわけ、18世紀半ば以降『メルキュール・ド・フランス』は啓蒙のフィロゾーフの精神と共鳴しながら、公衆の形成に寄与しました。誌上では、ルソー、ヴォルテールらの思想家、ディドロ、ダランベールら百科全書派の著作もしばしば取り上げられました。『メルキュール・ド・フランス』はアンシャン・レジームと革命期のフランスを観察し続けました。本コレクションは、1672年の創刊から1810年までの原紙を忠実に再現するものです。
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