Origins of the Cold War
本コレクションは、20世紀の米ソ冷戦を歴史的文脈の中で再検討するために関連の外交文書を収録するものです。米ソ冷戦を歴史的文脈の中に位置づけるために、19世紀末まで遡り、帝国主義の時代から第一次大戦、ロシア革命、戦間期、ファシズムの台頭、第二次大戦、東欧における共産主義諸国の建国まで、半世紀にわたる米露(米ソ)関係を周辺諸国の動向をも視野に収めつつ、関連の一次資料によって振り返ります。収録資料の多くは Foreign Relations of the United States(FRUS)のものですが、それ以外に以下の文書集、文書館の資料が含まれています。
(マイクロ版タイトル:Origins of the Cold War)
《収録文書の原史料・所蔵機関》
- 『米国外交文書史料集(Foreign Relations of the United States)』
- 『セオドア・ルーズベルト書簡集(The Letters of Theodore Roosevelt)』
- 『スターリンのチャーチルとアトリーとの書簡集(Stalin's Correspondence with Churchill and Attlee)』
- 『ソ連の大祖国戦争について(On the Great Patriotic War of the Soviet Union)』
- 『ハリー・L・ホプキンス文書(Harry L. Hopkins Papers, Franklin D. Roosevelt Presidential Library)』
- 『大祖国戦争期のソ連閣僚会議議長、米国大統領、英国首相間の書簡集(Correspondence Between the Chairman of the Council of Ministers of the U.S.S.R. and the Presidents of the U.S.A. and the Prime Ministers of Great Britain During the Great Patriotic War, 1941-1945)』
- 『破壊された世界:原子爆弾と大同盟(A World Destroyed: The Atomic Bomb and the Grand Alliance)』
- 『大統領公文書(Public Papers of the Presidents)』
- フランクリン・ルーズベルト大統領図書館(Franklin D. Roosevelt Presidential Library)
- 国務省(Department of State)
- 米国公文書館(National Archives)
《収録文書の一例》
- ブレッキンリッジ駐露公使からロシア外務大臣ロバノフ公への書簡(1895年5月)
- パース駐露代理公使からロシア外務大臣ロバノフ公への書簡(1895年8月)
- ヘイ国務長官からタワー駐露大使への書簡(1899年9月)
- ロシア外務大臣ムラヴィヨフ伯からタワー駐露大使への書簡(1899年12月)
- ヘイ国務長官から駐英、駐仏、駐独、駐露大使、駐日公使への訓令(1900年3月)
- コンガー駐清公使からヘイ国務長官への書簡(1902年1月)
- ヘイ国務長官からコンガー駐清公使への書簡(1902年1月、2月)
- ロシア外務大臣ラムスドルフ伯からタワー駐露大使への書簡(1902年1月)
- セオドア・ルーズベルト大統領からマイヤー駐露大使への書簡(1904年12月、1905年2月)
- エイディ国務長官代行からマイヤー駐露大使への書簡(1905年3月)
- マイヤー駐露大使からルート国務長官への書簡(1905年4月)
- ノックス国務長官からギルド駐露大使への書簡(1911年12月)
- ギルド駐露大使からノックス国務長官への書簡(1911年12月)
- フランシス駐露大使からランシング国務長官への書簡(1917年3月、11月、12月、1918年3月、4月)
- ランシング国務長官からウィルソン大統領への書簡(1917年12月、1918年1月、2月、6月、8月、1919年12月)
- ウィルソン大統領からランシング国務長官への書簡(1918年1月、8月)
- ポーク国務長官代行からサムナーズモスクワ総領事への書簡(1918年3月)
- ポーク国務長官代行からモリス駐日大使への書簡(1918年3月、8月)
- ランシング国務長官から連合国大使への覚書(1918年7月)
- ランシング国務長官からジュスラン駐米フランス大使への書簡(1918年8月)
- パリ講和会議の際にフランス外務省で開催された米英仏伊日間の会談覚書(1919年1月)
- ランシング国務長官からハリスイルクーツク総領事への書簡(1919年8月)
- ポーク国務次官からコードウェルウラジオストーク領事への書簡(1919年9月)
- ランシング国務長官からデイヴィス駐英大使への書簡(1920年1月)
- ゴンパーズアメリカ労働総同盟会長からヒューズ国務長官への書簡(1923年7月)
- ヒューズ国務長官からゴンパーズアメリカ労働総同盟会長への書簡(1923年7月)
- コールマン駐ラトヴィア公使からヒューズ国務長官への書簡(1923年11月)
- チチェーリン外務大臣からクーリッジ大統領への書簡(1923年12月)
- フランクリン・ルーズベルト大統領からカリーニンソ連邦中央執行委員会議長への書簡(1933年10月)
- カリーニンソ連邦中央執行委員会議長からルーズベルト大統領への書簡(1933年10月)
- ハル国務長官からルーズベルト大統領への書簡(1933年10月)
- ルーズベルト大統領とリトヴィノフ外務大臣の覚書(1933年11月)
- ルーズベルト大統領からリトヴィノフ外務大臣への書簡(1933年11月)
- バリット駐ソ大使からカリーニンソ連邦中央執行委員会議長への所見(1933年12月)
- カリーニンソ連邦中央執行委員会議長からバリット駐ソ大使への返信(1933年12月)
- ハル国務長官からバリット駐ソ大使への書簡(1934年3月、4月、6月、7月)
- バリット駐ソ大使からハル国務長官への書簡(1934年3月、4月、6月、7月、8月)
- デイヴィス駐ソ大使からハル国務長官への書簡(1937年2月、7月、1938年4月)
- ウェルズ国務次官からスタインハート駐ソ大使への書簡(1939年8月、1941年6月)
- スタインハート駐ソ大使からウェルズ国務次官への書簡(1939年8月、9月、10月)
- ショーンフェルド駐フィンランド公使からハル国務長官への書簡(1939年10月、1940年2月、3月)
- ルーズベルト大統領とカリーニンソ連邦中央執行委員会議長の交換公文(1939年10月)
- スタインハート駐ソ大使からハル国務長官への書簡(1939年12月、1940年2月、9月、1941年8月)
- ハル国務長官からスタインハート駐ソ大使への書簡(1939年12月、1940年1月、6月)
- ワイリー駐ラトヴィア公使からハル国務長官への書簡(1940年6月)
- ノレム駐リトアニア公使からハル国務長官への書簡(1940年6月)
- ガンサー駐ルーマニア公使からハル国務長官への書簡(1940年6月)
- バール国務次官補からフーバーFBI長官への書簡(1941年7月)
- ホプキンス大統領補佐官の覚書(1941年7月)
- ウェルズ国務次官からウマンスキー駐米ソ連大使への書簡(1941年8月)
- ウマンスキー駐米ソ連大使からウェルズ国務次官への書簡(1941年8月)
- ルーズベルト大統領とチャーチル首相の共同声明(1941年8月)
- スターリン首相からチャーチル首相への書簡(1941年9月、11月、1943年6月、1944年3月、7月、8月)
- チャーチル首相からスターリン首相への書簡(1941年9月、11月、1943年6月、7月)
- ルーズベルト大統領からスターリン首相への書簡(1941年9月、10月、1943年4月、1944年2月、12月、1945年2月、3月、4月)
- スターリン首相からルーズベルト大統領への書簡(1941年10月、11月、1943年4月、6月、1944年2月、10月、12月、1945年1月、3月、4月)
- ウィナント駐英大使からハル国務長官への書簡(1941年12月、1942年1月、5月)
- ハル国務長官からウィナント駐英大使への書簡(1941年12月)
- チャーチル首相からルーズベルト大統領への書簡(1942年3月、5月、9月、1944年10月)
- クレムリンでのチャーチル首相とスターリンとの会談記録(1942年8月)
- スターリンからキャシディAP通信モスクワ支局長への書簡(1942年11月)
- スタンドリー駐ソ大使からハル国務長官への書簡(1943年7月、8月)
- ハル国務長官からスタンドリー駐ソ大使への書簡(1943年7月)
- ハリマン駐ソ大使からハル国務長官への書簡(1944年2月、3月、6月、8月、9月、10月)
- マーシャル陸軍参謀総長からハル国務長官への書簡(1944年8月)
- ルーズベルト大統領とチャーチル首相からスターリン首相への書簡(1944年8月)
- スターリン首相からルーズベルト大統領とチャーチル首相への書簡(1944年8月)
- グロムイコ駐米大使からハル国務長官への書簡(1944年9月)
- ハリマン駐ソ大使からルーズベルト大統領への書簡(1944年10月)
- スタインハート駐トルコ大使からハル国務長官への書簡(1944年10月)
- グルー国務長官代行からハリマン駐ソ大使への書簡(1945年1月)
- ヤルタ会談第二全体会議(1945年2月)
- ヤルタ会談第三全体会議(1945年2月)
- ヤルタ会談第四全体会議(1945年2月)
- ヤルタ会談第五全体会議(1945年2月)
- ヤルタ会談第六全体会議(1945年2月)
- ヤルタ会談第七全体会議(1945年2月)
- スターリン首相からトルーマン大統領への書簡(1945年4月、10月、12月)
- トルーマン大統領からスターリン首相への書簡(1945年4月、5月、10月、12月)
- トルーマン大統領とチャーチル首相からスターリン首相への書簡(1945年4月)
- スターリン首相からトルーマン大統領とチャーチル首相への書簡(1945年5月)
- チャーチル首相からトルーマン大統領への書簡(1945年4月、5月)
- ポーランドとの外交関係樹立に関するトルーマン大統領の声明(1945年7月)
- 統合参謀本部決定「ロシア政策の観点からみた米国の軍事的ポジション」(1945年10月)
- 統合参謀本部「原子爆弾の秘密に関する軍事政策」統合戦略調整委員会報告(1945年10月)
- べヴィン外務大臣からモロトフ外務大臣への書簡(1945年11月)
- ケナン駐ソ代理大使からバーンズ国務長官への書簡(1945年12月、1946年2月、3月)
- ハリマン駐ソ大使からバーンズ国務長官への書簡(1946年1月)
- バーンズ国務長官からオレコフ駐米代理大使への書簡(1946年2月)
- フセイン・アラ駐米イラン大使からバーンズ国務長官への書簡(1946年3月)
- バーンズ国務長官の訓令に基づき、ケナン駐ソ代理大使からソ連政府に伝達された覚書(1946年3月)
- ノヴィコフ駐米代理大使からバーンズ国務長官への書簡(1946年3月)
- バーンズ国務長官からマレー駐イラン大使への書簡(1946年3月)
- グロムイコ国連安全保障理事会ソ連代表とバーンズ国務長官の声明抜粋(1946年3月)
- マレー駐イラン大使からバーンズ国務長官への書簡(1946年4月)
- ステティニアス米国国連大使からバーンズ国務長官への書簡(1946年4月)
- スミス駐ソ大使からバーンズ国務長官への書簡(1946年4月、5月、6月、7月)
- アチソン国務次官からバーンズ国務長官への書簡(1946年5月)
- ノヴィコフ駐米大使からアチソン国務次官への書簡(1946年5月)
- バーンズ国務長官からノヴィコフ駐米大使への書簡(1946年6月)
- ケナン駐ソ代理大使からアチソン国務次官への書簡(1946年7月)
- オレコフ駐米代理大使からアチソン国務次官への書簡(1946年8月)
- アチソン国務次官からオレコフ駐米代理大使への書簡(1946年8月)
- ダーブロー駐ソ代理大使からバーンズ国務長官への書簡(1946年9月)
- モロトフ外務大臣からスミス駐ソ大使への書簡(1946年10月)
- アルバニア大使館員の召還に関する国務省の声明(1946年11月)
- デイヴィス駐ソ大使館一等書記官からスミス駐ソ大使への書簡(1946年11月)
- バーンズ国務長官とベヴィン外務大臣の覚書(1946年12月)
- アチソン国務次官からマーシャル国務長官への覚書(1947年2月)
- ソ連最高司令部によるハンガリーへの介入に反対する米国の声明(1947年3月)
- トルーマン・ドクトリン:ギリシアとトルコに関する議会への特別教書(1947年3月)
- 国家安全保障の観点からの米国の他国への支援に関する統合戦略調整員会の報告(1947年4月)
- マーシャル国務長官ハーバード大学講演(1947年6月5日)
- ケナン「ソビエト対外行動の源泉」(『フォーリン・アフェアーズ』1947年6月号、7月号)
- スミス駐ソ大使とモロトフ外相の交換公文(1947年9月)
- モロトフ外務大臣の米国上院外交委員会での演説(1948年)
- 米英仏政府によるチェコスロヴァキアに関する共同宣言(1948年2月)
- マーシャル国務長官からパニュシキン駐米大使への書簡(1948年7月)
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関連分野
- アメリカ史
- 政治
- 20世紀研究