Policing the Shanghai International Settlement, 1894-1945
上海ではアヘン戦争後の1845年、イギリスが自国民の居住と商業活動のための地域として租界を創設したのにつづき、アメリカとフランスも租界を設置、中国の主権がおよばない治外法権地域が拡大しました。1863年、イギリス租界とアメリカ租界の合併に伴い、共同租界が誕生します。租界地域で商業活動を営む欧米人により土木関係行政機関として1854年に創設された工部局(Municipal Council)は、以後統括範囲を拡大、第二次大戦中に共同租界が廃止されるまで、常設行政機関として共同租界を統括しました。
工部局は財務、衛生、警察等の部局の他、図書館やオーケストラをも擁し、大半の部局のトップはイギリス人で占められていました。工部局の部局の中でも、とりわけ大きな権力と組織を有していたのが警察です。
アヘン戦争の頃までは小さな港町に過ぎなかった上海は、欧米人による製造業や貿易活動を通して20世紀初頭には中国有数の商業都市に発展する一方、革命やポグロムを逃れた白系ロシア人やユダヤ人をはじめとする亡命者や難民が流入する国際都市に変貌しました。
新生ソ連の影響下でコミュニストの活動も活発になり、1921年にはフランス租界で中国共産党が創設、労働組合とストライキを精力的に組織化します。外国資本の工場では劣悪な労働条件の改善を求める中国人労働者によるストライキ、労働争議、デモは、第一次大戦後の抗日救国運動における民族意識の高揚と共鳴しつつ展開されました。
当初から欧米人のみで運営されていた工部局への中国人の参加を求める運動が高まる中、1925年、日系工場での労働組合指導者殺害に抗議する大規模デモを契機に工部局の最高意思決定機関である市参事会への中国人の加入が認められるようになります。
その後も、蒋介石による共産党指導者の逮捕と粛清と国共合作の破綻(四・十二クーデター)、中国の抗日運動を抑えるために日本軍が仕組んだ謀略に端を発した日中両軍の衝突(第一次上海事変)、日中戦争の勃発後の日本軍の中国人居留地域への攻撃(第二次上海事変)、日米開戦後の日本軍の共同租界占領など、上海は歴史の大事件の舞台となりました。
本コレクションは、工部局警察部の資料を収録します。大半の資料は、警察部特高課(Special Branch)の資料で占められています。特高課は警察部の秘密調査機関として、政治デモ、ストライキ、労働争議、社会不安、国内外の破壊活動、共同租界と中国政府との紛争に関する秘密情報の収集、出版物の検閲等の任務を行なっていました。特高課は秘密情報を収集する過程で様々な文書を押収し、報告書を作成しました。本コレクションにはこれら報告書、月報、年報のほか、組合活動家、共産主義者、コミンテルン工作員、救国組織の押収文書、逮捕者の尋問調書を収録します。
これらの資料は、労働組合活動家、共産主義者、中国共産党員、スパイ、国民党政府関係者、国民党工作機関など、上海共同租界を舞台に活動、暗躍した組織や個人を明るみにし、通商、金融取引、ギャング、闇取引、犯罪、テロ、誘拐、売春の実態を浮き彫りにする貴重な歴史資料です。
(マイクロ版タイトル:Shanghai Municipal Police Files, 1894-1945)
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