Revolution in Mexico, the 1917 Constitution, and Its Aftermath
本コレクションは米国国立公文書館が所蔵する国務省一般記録群(RG59)のセントラル・ファイルの中から、米国国務省のメキシコ革命期のメキシコ国内事情に関する外交文書約120,000ページを収録するものです。収録文書は米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わした往復書簡です。
収録文書は米国国立公文書館のファイリング・システムに準じた文書番号が付与されています。国務省一般記録群(RG59)は、1910年から1963年まで十進分類法に則ったファイリング・システムによって整理されていたため、デシマル・ファイル(Decimal File)と呼ばれています。このシステムでは文書番号は、大分類番号(Class Number)+国番号(Country Number)+小分類番号(Subtopic Number)で構成されています。本データベースに収録される文書の大半は文書番号812が付与されたものです。文書番号812はClass Number 8(Internal Affairs of State)とCountry Number 12(Mexico)を合わせたもので、メキシコの内政事情を意味します。
収録文書はメキシコ革命が勃発した1910年から1924年までの14年間をカバーます。文書の多くは政府軍と反乱軍の軍事行動に関するものですが、革命期の政治的混乱の中での米国民とその財産の保護、米国の食糧不足に対するメキシコ人の態度、匪賊の行動、通信や交通の破壊、政府軍や反乱軍による都市や州の占領、武器の密輸、反乱軍による米墨国境の越境等、革命期特有の政情不安と社会のダイナミズムが克明に記録されています。
ポルフィリオ・ディアス(Porfirio Díaz)の長期独裁体制が30年以上にわたり続いていた1910年、フランシスコ・マデロ(Francisco Indalécio Madero)が亡命先の米国から大統領選の不正を訴え、蜂起を呼びかけ、国内の反体制派がこれに呼応した時、メキシコ革命の火蓋が切られました。ディアス政権と良好な関係を維持していた米国はここにいたり政権を見限ります。また、スタンダード・オイル社等の米国企業は資金提供を行なうことでマデロ陣営を支援しました。1911年5月、ディアス政権は崩壊し、マデロが大統領に就任します。
その後、情勢は目まぐるしい展開を見せます。1913年、反革命クーデタによりマデロ政権は崩壊し、ビクトリアーノ・ウエルタ(Victoriano Huerta)将軍が大統領に就任、国内はウエルタ政権と反ウエルタ陣営の内戦に突入します。1914年、反ウエルタ陣営の攻勢を受ける中で、ウエルタは大統領を辞任します。反ウエルタ闘争では共闘していた革命諸派の内部対立が表面化し、1914年10月に、アグアスカリエンテス市に諸派が会し対立の調停が試みられるも、急進派のフランシスコ・ビリャ(Francisco Villa)、エミリアーノ・サパタ(Emiliano Zapata)と穏健派のベネスティアーノ・カランサ(Venustiano Carranza)、アルバロ・オブレゴン(Alvaro Obregon)の間で決裂し、内戦が再発します。1915年、カランサとオブレゴンの軍がビリャとサパタの軍を破り、政権を掌握します。カランサ=オブレゴン派は政権の支持基盤を農民や労働者に拡大するために、当時としては極めて民主的な憲法(1917年憲法)を制定します。新憲法下で実施された初の大統領選挙ではカランサが大統領に就任します。
米国は、ウエルタ政権時代に武器禁輸措置を講じ、またタンピコ港に停泊中の米国戦艦乗組員が逮捕されたことを口実に、海兵隊をベラクルス港に上陸させ、政権の補給路を断ち、ウエルタ政権崩壊を早めました。また、ビリャの一隊が国境を越えニューメキシコ州に侵攻したことに対する懲罰として、ジョン・パーシング(John R. Pershing)将軍の軍隊がメキシコに遠征します。外交面では、カランサが政権を掌握すると、事実上の承認を行ない、同政権の国際的地位を高めます。このように、米国は軍事・外交両面で、革命期のメキシコに多大な影響をおよぼしました。