SAFEHAVEN Reports on Nazi Looting of Occupied Countries and Assets in Neutral Countries
第二次大戦末期の1944年7月、戦後国際金融制度を話し合うための国際会議がアメリカのブレトン・ウッズで開催されました。この会議では、後にブレトン・ウッズ体制と呼ばれることになる戦後国際金融の枠組みを定めた協定の他に、あまり知られてはいないものの、ナチスによる略奪品の譲渡、移転、隠匿を阻止するための手段を講じることを中立国に求めた決議VIが採択され、この決議を具体化するものとしてセイフヘイヴン・プログラム(SAFEHAVEN Program)が策定されました。
セイフヘイヴンは戦争末期のドイツの対外金融取引の動向をウォッチするためにアメリカ対外経済局が国務省やアメリカ軍と連携して行なったプログラムのコードネームでした。プログラムは、ナチスによる略奪品を所有者へ返還するとともに、ドイツ国内の資産が中立国へ移転するのを阻止することによって、ナチスに占領された国々の再建と戦勝国への賠償金支払いの原資を確保し、加えてナチスの復活を阻むという連合国のグランドデザインの一環をなしていました。しかしながら、プログラムを実施に移すにあたって、対外経済局、国務省、財務省等の米国政府省庁間の対立に、中立国へのアプローチを巡る連合国間の利害対立が加わり、連合国と中立国、とりわけスイスとの交渉は難航しましたが、穏健的アプローチを主張する国務省がイギリスを味方に付け、対外経済局など米国政府省庁や統合参謀本部の強硬派を制する形で、主導権を握りました。連合国の勝利が確実になる中、多くの中立国がドイツとの貿易関係を削減もしくは停止し、セイフヘイヴン・プログラムに即した行動を実施したことにより、ドイツ国内の資産の中立国への移転阻止という当初の目標はほぼ達成されました。しかしながら、その中にあっても、スイスは非協力的な姿勢を取り続けました。ヨーロッパでの戦争が終結した後もドイツとの貿易関係を停止せず、国内のドイツ系資産の移転要求に応じないスイスの態度は米国の公聴会でも取り上げられるなど、非協力的な姿勢を取り続けるスイスは中立国の中でも際立っていました。
本コレクションは、ベルン(スイス)、マドリッド(スペイン)、リスボン(ポルトガル)、モンテヴィデオ(ウルグアイ)、サンホセ(コスタリカ)、マナグア(ニカラグア)などの中立国やロンドンの米国大使館から戦争犯罪局(War Crimes Branch)宛に発送されたセイフヘイヴン・レポートと付属文書を収録します。戦争犯罪局は戦争犯罪の調査と訴追を統括するために1944年10月に創設された機関で、ワシントンに本部が置かれました。ワシントン本部は戦争犯罪に関する統計センターとしても機能していたため、戦争犯罪に関するあらゆる証拠が集められました。セイフヘイヴン・レポートが戦争犯罪局で集められたのも、戦争犯罪に関する証拠収集の一環としてみなされたためです。レポートでは、ナチスの国外資産、ナチスによる芸術品の略奪やボッシュやイーゲー・ファルベン等ドイツ系企業の特許移転等の情報、米国の戦時諜報機関、戦略情報局(OSS)によって提供されたドイツと中立国の経済協力関係の実態に関する情報、国内のドイツ系資産の移転要求に応じないスイスの姿勢など、第二次大戦末期から戦後直後にかけての時期におけるナチスの資産をめぐる生々しい証言が記録されています。
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関連分野
- 政治学・外交研究
- 第二次世界大戦