The Amerasia Affair, China and Postwar Anti-Communist Fervor
1945年1月、戦略諜報局(Office of Strategic Services)の分析官ケネス・ウェルズ(Kenneth Wells)はアジア問題の専門雑誌『アメレイジア』のある記事を読み、記事がタイに関して自らが発表した報告書と酷似していることに気付きました。同年3月、『アメレイジア』誌のニューヨーク事務所を家宅捜査した戦略諜報局の調査官は、国務省、海軍省、戦略諜報局の機密文書を発見しました。
捜査を委ねられた連邦捜査局(FBI)は、同誌編集長のフィリップ・ジャッフェ(Philip Jaffe)が国務省職員のエマニュエル・ラーセン(Emanuel Larsen)と海軍諜報局(Office of Naval Intelligence)のアンドリュー・ロース(Andrew Roth)から文書を入手した可能性があると明らかにしました。フリーランスの記者マーク・ゲイン(Mark Gayn)と国務省の中国通ジョン・サービス(John S. Service)も容疑者として浮上しました。
FBIは、ジャッフェがサービスと数回会い、中国人が米国政府に内密に提供した情報に関する文書をサービスから受け取った事実を掴みました。ジャッフェはニューヨークのソ連領事館を訪問したこともあり、サービスと面会した2日後には自宅でアメリカ共産党書記長アール・ブラウダー(Earl Browder)やサンフランシスコ会議中国共産党代表の董必武とも会っていたことがFBIによって報告されました。
この事件では、ジャッフェ、ラーセン、ゲイン、ロース、サービスら6人が1945年6月6日に逮捕され、『アメレイジア』誌の事務所は強制捜査され、1,700点に上る機密文書が押収されました。文書が外国に渡った証拠が得られなかったため、司法省はスパイ取締法での起訴を見送り、政府文書の不法所持容疑で立件しました。大陪審は6名のうち、ジャッフェとラーセンとロースの3名を起訴しました。
しかし、FBIが捜査の過程で『アメレイジア』誌のオフィス、ラーセンらの自宅に不法侵入し盗聴器を仕掛けた事実をラーセンの弁護士が掴むと、FBIによる更なる不法捜査が明らかになることで裁判に敗訴することを恐れた司法省は被告との司法取引に持ち込みました。その結果、ジャッフェは罪状を認め、2,500ドルの罰金を科され、ラーセンは不抗争の答弁を行ない、500ドルの罰金を科されました。ロースに対する起訴は取り下げられました。
『アメレイジア』事件は第二次大戦後のアメリカを震撼させた一連のスパイ事件の劈頭に位置する事件です。アルジャー・ヒス事件やローゼンバーグ事件のようなスパイ事件としての劇的要素には欠けるものの、社会的地位のあるアメリカ人が共産主義者のためにスパイ活動を行なった容疑をかけられた最初の事件であり、米国社会に与えた衝撃は大きく、その後のマッカーシズムを生む種子の一つとなったことでも歴史的意義は小さくありません。本コレクションは、FBIの捜査資料を通して事件の全貌にせまるものです。
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