The Economy and War in the Third Reich, 1933-1944
第三帝国の経済政策は当初、1933年にライヒスバンク総裁に就任し、翌年経済相を兼任したヒャルマル・シャハトにより推進されました。シャハトは低金利政策と公共支出の拡大により、ナチスが政権の座についたとき30%近くの水準にあった失業率を劇的に下げることに成功しました。このケインズ主義的政策は再軍備と軍事支出増大による需要喚起にも支えられました。しかし、軍需生産に不可欠な鉱物資源を輸入に頼るドイツにおいて、過度の軍備拡大は経済の破綻を招くと考えたシャハトは、軍備拡大を推進するナチス指導部との間で次第に軋轢を生み、1937年経済相を解任、後任にはゲーリング派のヴァルター・フンクが着任します。
この頃ドイツでは4ヶ年計画の下、戦争遂行を可能とする経済体制の構築が進められていました。この4ヶ年計画の総責任者がゲーリングでした。経済相がシャハトからゲーリング派のフンクに変わったことは、ドイツ経済が統制経済に移行したことを意味しました。以後、賃金と物価は統制下に置かれ、株式配当も制限され、労働組合やストライキ権は撤廃される一方で、ゲーリング自ら鉄鋼生産のコンツェルンを設立するなど、石油、繊維、鉄鋼等の戦略物資の自給が指向されます。1939年の開戦後は、軍需省を中心に総力戦体制が敷かれ、軍需生産が飛躍的に高められ、1945年の第三帝国崩壊まで、経済は戦争遂行目的のもとに再編されました。
本コレクションは、帝国統計局が編纂した『外国貿易月報』(1933年1月から1939年6月までは Monatliche Nachweise Über den Auswärtigen Handel Deutschlands、1939年7月は Der Aussenhandel Deutschlands Monatliche Nachweise、1939年8月から1944年までは Sondernachweis der Aussenhandel Deutschlands)を収録します。外国貿易統計は、外国貿易の商品、量、金額を毎月公表したもので、毎年12月には年間の総額を記載しました。ドイツにとっての対東ヨーロッパ貿易の重要性、1934年から1935年に南欧諸国との間で締結された貿易協定の影響、統制経済の拡大、領土拡大を促した経済的誘因など、第三帝国の対外経済構造の変化を浮き彫りにします。
(マイクロ版タイトル:Statistics of the Third Reich Analyzed, 1933-1944)
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関連分野
- ユダヤ・ホロコースト研究
- 第二次世界大戦