The Minutemen: Rise of the Militia Movement in America, 1963-1969
ミニットマンは1960年代初頭に結成された反共民兵組織です。創始者のロバート・ボリバー・デピュー(Robert Bolivar DePugh)は、ミズーリ州出身の獣医薬系製薬企業の創業者です。共産主義が全米を制圧するとの恐れを抱いていたミニットマンは、共産主義の破壊分子からアメリカを取り戻すためと称して、みずから武装します。ミニットマンは5人から15人のメンバーで構成される小さな細胞で構成され、来るべき反革命が到来した時にゲリラ戦を展開すべく、各細胞は武器を備蓄しました。
ミニットマンは1960年代を通して各地で散発的に、治安当局や民間人と衝突を起こしましたが、事件発生の度に、各地に設置した武器の隠匿場所が治安当局により発見されました。1966年10月には、共産主義者や左翼が利用していると称して、ニューヨークのサマーキャンプを襲撃する計画を立てますが、実行前に治安当局により逮捕されます。逮捕の際、ライフル銃、パイプ爆弾、迫撃砲、機関銃、擲弾発射機、バズーカ砲等、夥しい数の武器弾薬が発見されました。この事件では、捜索令状に過失があったため、容疑者の起訴は見送られます。
ゲリラ戦術の他にミニットマンが取った手口に脅迫があります。たとえば、1950年代の赤狩りで有名な下院非米活動委員会を批判した12人の議員を機関誌One Targetで名指しし、「裏切者よ、用心するがよい」との警告を発しました。
「民兵(Militia)」は植民地時代以来、人口に膾炙したアメリカ固有の言葉ですが、その意味は時代とともに変化しました。かつて全市民の保護を目的として形成された自営組織は、アメリカ史において民兵運動として脈々と受け継がれ、多くの団体は急進的な極右団体へと変貌を遂げています。これらの民兵組織は20世紀末にルビーリッジ事件(1992年)、ウェイコ事件(1993年)、オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件(1995年)を引き起こし、メディアで大きく報じられたため、関心を集めるようになりました。
ミニットマンの過激な行動と暴力は連邦捜査局(FBI)の関心を引きます。長期間に亘る監視と諜報活動の結果、FBIと連邦司法当局はミニットマンを起訴し、デピュー他のメンバーは収監されました。デピューの収監により、アメリカの極右におけるミニットマンのプレゼンスは急速に衰えました。
本コレクションは、FBIの文書を集めたもので、ミニットマンの哲学、組織、プログラムを詳細に記録に止めていますが、ミニットマンの組織と行動を通して、現代民兵運動の特徴を浮かびあがらせる重要な文書集でもあります。ロバート・デピューの『勝利のための青写真(Blueprint for Victory)』、ロザリー・ゴードン(Rosalie M. Gordon)の『我々の学校に何が起こったのか(What’s Happened to Our Schools)』、ヤンク・レヴィ(Yank Levi)の『ゲリラ戦(Guerrilla Warfare)』等のパンフレットも収録されています。
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