The Minutes of the Shanghai Municipal Council
上海ではアヘン戦争後の1845年、イギリスが自国民の居住と商業活動のための地域として祖界を創設、アメリカとフランスも租界を設置し、中国の主権が及ばない治外法権地域が拡大しました。1863年、イギリス租界とアメリカ租界の合併に伴い、共同租界が誕生します。租界地域で商業活動を営む欧米人により土木関係行政機関として1854年7月11日に創設された工部局(Municipal Council)は、以後統括範囲を拡大、第二次大戦中に共同租界が廃止されるまで、常設行政機関として共同租界の日常業務とインフラを運営しました。工部局は土木、財務、税務、衛生、警察等の部局の他、図書館やオーケストラをも傘下に擁し、大半の部局のトップはイギリス人で占められていました。工部局員と議長は毎年、納税者総会で選出されました。工部局はイギリス人が最多数を占め、大半の部局のトップもイギリス人で占められました。外国人が主体となって運営された工部局に共同租界に居住する中国人が加入することを認められたのは1928年以降のことです。
本コレクションは工部局の政策立案機関である参事会の議事録を収録します。工部局が共同租界の行政全般を管轄下に置く組織であったため、参事会が議題に上げる範囲は衛生、交通、通信、郵便、税務、都市計画、ガス供給、街灯から動物保護、警察、人力車夫の監督まで、広範囲におよびました。役員や職員の人事異動も扱われています。
本コレクションは工部局創設の1週間後の1854年7月17日の議事録から工部局が解散した1943年12月17日の議事録まで、約90年におよぶ重役会の記録を電子的に復刻します。記録はすべて英語で書かれ、1854年7月から1906年12月までの議事録は手書き、それ以降はタイプ原稿です。
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