FBI File: Howard Hughes
本コレクションはハワード・ヒューズ(1905-1976)に関する連邦捜査局(FBI)の捜査資料を収録します。最も古い資料は1941年のものであり、軍用機の製造委託を受けるなど、政府との関係が緊密になる以前から、FBIがハワード・ヒューズを捜査対象にしていたことを示しています。資料からはヒューズの近くにいた人物がFBIへの情報提供者だったらしいことが窺われます。文書は、航空機事業、不動産事業、所得税不正に関する疑惑から、晩年の失踪、女優との関係、死後の遺言を巡る紛糾まで、ヒューズの公私両面にわたり克明に記録されているほか、自筆の書簡も収録されています。
若くして両親を亡くしたヒューズは、家族が経営する会社(Hughes Tool Company)を自ら経営し、様々な事業に投資しました。22歳の時に念願の映画産業に参入し、映画の制作を手掛けます。航空機の世界で名声を得るというもう一つの夢を実現するために、航空機製造会社(ヒューズ航空機)を設立、会社が製造した飛行機は飛行スピードの世界記録を度々打ち立てました。第一次大戦のパイロットを描いた映画『地獄の天使(Hell’s Angels)』(1930)は、映画と航空機というヒューズの二つの夢を同時に叶えたもので、ヒューズ自ら監督として制作に携わっただけでなく、パイロットのライセンスを取得し、飛行シーンでは自ら操縦桿を握りました。
第二次大戦後、ヒューズ航空機が政府から軍用機の製造委託を受けるに伴い、会社は急成長します。多額の法人税の支払いを嫌ったヒューズは、ヒューズ航空機の資産を移転するために、医学研究所を設立します。1956年には、副大統領リチャード・ニクソンの実弟ドナルド・ニクソンの経営するレストランを救済するために多額の貸付を行ないましたが、医学研究所に対する内国歳入庁の税制上の公定解釈で便宜を図ってもらうためのものではなかったかとの疑惑が浮上しました。大統領選に出馬したリチャード・ニクソン陣営に多額の献金を行なうことで、自身の医学研究所に不利な税制改革法案の成立を阻止することにも成功しました。経営を退いたトランス・ワールド・エアラインズの株式保有をめぐり、訴訟を起こされた裁判では、出廷を拒否し、被告人欠席のまま、自身の保有株の売却を命じられました。この株式売却で得た資金でヒューズは、ラスベガス一帯のホテル、カジノ、ゴルフ場、テレビ局、空港、土地を購入、それまでマフィアがホテルやカジノを所有・経営していたラスベガスを企業家が運営するラスベガスへ変貌させる端緒を作りました。
ラスベガスに拠点を移した頃から、精神病を発症し始めたヒューズは次第に人との交流を避けるようになります。その後グループの基幹会社を売却したヒューズは、経営の一線から身を引きます。晩年は世間の注目から逃げるように世界各地を彷徨し、隠遁者の生活を送り、最後は精神病により70年の生涯を閉じました。
(マイクロ版タイトル:FBI File on Howard Hughes)
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