Grassroots Civil Rights & Social Activism: FBI Files on Benjamin J. Davis, Jr.
ベンジャミン・J・デイヴィスはハーバード大学ロースクールで学んだ後、1931年にアトランタで法律事務所を開設します。1年後、デイヴィスのその後のキャリアを決定づける出来事に遭遇します。アトランタ市庁舎で失業救済のデモを指導した若き共産党員アンジェロ・ハーンドン(Angelo Herndon)が暴動扇動罪で起訴されたことを知ったデイヴィスは、ハーンドンを支援すべく立ち上がります。デイヴィスはハーンドンと支援者と弁護士団体の国際労働擁護同盟(International Labor Defense)の協力の下、ジョージア州の反政府活動取締法に対する違憲判決を引き出すことを主眼とする裁判闘争を展開します。一審では敗訴となったものの、上訴審に持ち込み、1937年ついに一審判決を破棄し、ジョージア州法を違憲とする逆転判決を最高裁で勝ち取りました。
その間、共産党に入党したデイヴィスは、共産党の要請を受け、ニューヨークのハーレムに活動拠点を移し、ハーレムで人種差別反対運動等の政治運動の中心的な存在として活躍します。定期刊行物の刊行にも積極的に関わり、『Harlem Liberator』や『Negro Liberator』では編集長として辣腕を振るい、1930年代後半のニューヨークの左翼芸術家が寄稿した『Daily Worker』の刊行にも尽力しました。
ハーレムの黒人政治運動を牽引した全米黒人会議(National Negro Congress, NNC)の指導者の一人でもあったデイヴィスは、1943年にニューヨーク市議会議員選に立候補し当選を果たし、2年後に再選されます。ジョー・ルイス(Joe Louis)、リナ・ホーン(Lena Horne)、デューク・エリントン(Dule Ellington)等、著名な黒人文化人の支援を得て展開されたデイヴィスの政治活動は、黒人社会への共産党の影響力が最高潮に達した時代環境とも共鳴し合っていました。
1949年、暴力による政府転覆の陰謀を唱道したとして、反政府活動取締法(1940年スミス法)により連邦政府から起訴されたデイヴィスは有罪判決を受け、3年間の刑に服します。出所後は全米各地で講演を行なう一方で、共産党のためのパンフレットを執筆します。デイヴィスは1964年、60年の生涯を閉じました。服役中に執筆された自伝は没後の1969年に『ハーレムの共産党市会議員(The Communist Councilman from Harlem)』として刊行されました。
デイヴィスはその政治活動の期間を通して、アメリカ連邦捜査局(FBI)の監視対象の下に置かれていました。本コレクションのFBI文書は、『黒人/赤狩り:ベン・デイヴィスと共産党(Black Liberation/Red Scare: Ben Davis and the Communist Party)』(1994)の著者としても知られる歴史家ジェラルド・ホーン(Gerald Horne)により収集されたものです。
収録されている資料はデイヴィスが携わった草の根活動の実態を記録する文書から、デイヴィスが参加した様々な会議の議事録、情報提供者からの報告まで、広範囲におよびます。黒人社会における共産党の影響力が最高潮に達した1930年代から戦後の赤狩りの時代を経て、1956年のハンガリー動乱により共産党への失望が広がるまで、常にアメリカ共産党指導部の中心にいたデイヴィスの活動や党内の議論を克明に記録します。
人種差別撤廃、住宅、警察の黒人への暴力、労働者のストライキ支援、ハーレムにおける若者の労働等のトピックを巡る共産党の対応、一連の政府からの抑圧にも関わらず党と党員を守り続けた共産党の姿勢にも光が当てられます。収録期間は1941年以降ですが、デイヴィスの執筆したパンフレット『黒人の権利を擁護して(In Defense of Negro Rights)』も収録され、そこではハーンドン裁判等、1930年代の出来事も触れられています。
さらに詳しく
関連分野
- アメリカ史
- 伝記・人物情報
- アフリカ系アメリカ人研究
- 公民権