Intergovernmental Committee on Refugees: The West's Response to Jewish Emigration
本コレクションは、1938年7月のエビアン会議を受けて同年8月にロンドンで組織された政府間難民委員会(Intergovernmental Committee on Refugees, IGCR)の文書集です。会議録、書簡、報告書を通して創設から解散に至るIGCRの活動を浮き彫りにします。
1933年のナチスの政権獲得以降、ドイツではユダヤ人に対する迫害が続きました。多くのユダヤ人が国外に脱出したものの、様々な事情によりドイツには残っていたユダヤ人も多数いました。1938年3月にナチスによりオーストリアが併合されると、ユダヤ人に対する迫害は地域的に拡大しました。
このような状況を前に、ドイツ語圏のユダヤ人を難民として受け入れるべきであるとする世論が高まり、フランクリン・ルーズベルト米国大統領はユダヤ人難民への対応を協議する会議の開催を呼びかけました。この呼びかけを受け、1938年7月にフランスのエビアン・レ・バンでユダヤ人難民問題を協議する会議が開催されました。会議終了後の8月には難民問題を扱う常設機関として政府間難民委員会(Intergovernmental Committee on Refugees, IGCR)がロンドンで創設され、初代会長に米国の弁護士のジョージ・ラブリー(George Rublee)が就任しました。
ラブリーは4年間で40万人のユダヤ人を国外脱出させる計画の実現に向けて、関係各国と交渉を重ねましたが、第二次大戦の勃発により、計画は頓挫しました。第二次大戦中の1943年には、ナチス統治地域のユダヤ人救済を目的とする英米間会議がバミューダで開催されます。バミューダ会議ではIGCRに関して、緊急の問題に限定せず、第二次大戦終了後の時期まで視野に入れ、その権限を拡大させる方向で勧告が採択されましたが、同年、連合国救済復興機関(United Nations Relief and Rehabilitation Administration, UNRRA)が設立されたことにより、UNRRAがIGCRに代わる難民支援のための国際機関として位置づけられるようになり、IGCRの権限は無国籍難民等、UNRRAの活動が及ばない領域の難民に限定されるようになりました。IGCRは1947年に解散し、その活動は国連難民機関(International Refugee Organization)に継承されます。
(マイクロ版タイトル:Records of the Intergovernmental Committee on Refugees, 1938-1947)
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