Refugees, Relief and Resettlement: Forced Migration and World War II
本データベースは、1930年代から第二次世界大戦を経て1950年代までの約30年間における難民、強制移動の実情に光を当てるべく、イギリスとアメリカの政府文書や非政府機関の文書を電子化して提供するものです。
難民や強制移動は古くから存在していましたが、空前の規模で多くの難民が発生したのは、第一次大戦後に多民族が共存していた帝国が崩壊した後のことです。1930年代にはナチズムやスターリニズムの迫害を逃れ、ユダヤ人をはじめとする多くの人々が生まれ故郷を離れることを強いられました。
この経験を経て、1948年には国際人権規約に難民保護の条項が盛り込まれ、1951年には難民の地位に関する条約が成立、また、その前年には国連難民高等弁務官事務所が開設されるなど、難民保護のための制度的枠組が構築されました。しかし、ベトナム戦争後のボートピープル、ソマリア、スーダン、エチオピア等のアフリカ諸国の難民、アフガニスタン難民等、内戦や飢饉を原因とする難民の発生は止まることなく、21世紀にはシリア難民、ロヒンギャ難民など、難民問題は国際政治に重くのしかかっています。
国際政治で注目を集めるのに伴い、アカデミズムの世界においても難民研究の概念や方法論を巡る議論が進み、学問的土台が整備されます。難民研究は、政治学、国際関係論、法学、経済学、社会学、心理学、人類学、開発研究等の様々な分野を横断する学際的な性格を持つ一方で、現に進行している問題への対処を迫られる必要性から、政策的・実務的な性格を持つ傾向が強く、難民の歴史研究は立ち遅れました。しかし、労働者、女性、黒人、奴隷、性的マイノリティ、障害者、先住民族など、従来の歴史研究の対象とされることのなかった「忘れられた人々」の歴史を復元する試みが20世紀後半に大きな波を形成する中で、同じく忘れられた人々である難民についても、その歴史研究の必要性が次第に認識されるようになりました。
20世紀の前半から半ばにかけての時代は、グローバルな規模で生まれ故郷を離れることを強いられた人々の存在を政治家、官僚、知識人らが意識し始めた難民史の原点となる時代です。本アーカイブは、この時代の難民に関する資料を提供する初めての電子リソースです。
《関連エッセイ》
「第二次世界大戦期 難民・強制移動関係文書集について」ピーター・ガトレル(日本語訳)
《ウェビナー録画》
《収録コレクション》
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Refugee Records from the General Correspondence Files of the Political Departments of the Foreign Office, Record Group 371, 1938-1950(英外務省政務局一般書簡ファイル難民記録集)(英国国立公文書館 FO 371)
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Refugee Files from the Records of the Foreign Office, 1938-1950(英外務省記録集難民ファイル)(英国国立公文書館)
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Refugee Records from the War Cabinet, the Colonial Office, the Home Office and the War Office, 1935-1949(英戦時内閣、植民地省、国防省、内務省、陸軍省難民関係記録集)(英国国立公文書館)
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Refugee Records from the Public and Judicial Department Collections of the British India Office, 1939-1952(英インド省総務・法務局コレクション難民関係記録集)(大英図書館)
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Records of the Department of State Relating to the Problems of Relief and Refugees in Europe Arising from World War II and Its Aftermath, 1938-1949(第二次大戦中並びに第二次大戦後のヨーロッパにおける難民並びに難民救援の諸問題に関係する国務省記録集)(米国国立公文書館)
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Archives of the Central British Fund for World Jewish Relief, 1933-1960(世界のユダヤ人救済のための中央イギリス基金アーカイブ)
日本関係文書の例
- 第二次英日交換(1942年8月)
- 英日交換̶日本の民間人を運搬する交換船に二人のドイツ人の役人をオーストラリアから乗船させる提案(1943年7月)
- 英日交換̶インドで強制収用された日本人のリスト(1944年)
- 英日交換(1943年12月~1945年9月)
- イギリス領における日本の政府役人と特定民間人の避難:第一次英日交換(1941年12月~1948年2月)
- 外国人規制の日本人への適用(1940年7月20日~10月25日)
- 対日戦争発生時の対応(1941年12月6日)
- 外国人規制の日本人役人への影響(1940年5月30日~7月)
- 外国人規制のイギリス国内の日本人への影響(1941年1月21日~2月7日)
- 日本、中国占領地域、タイ、インドシナからの避難(1942年1月19日)
- 連合国国民の日本からビルマへの避難(1941年7月8日)
- 連合国国民の日本からビルマへの避難(1941年7月23日~8月6日)
- 連合国国民の日本からビルマへの避難(1941年8月7日)
- 連合国国民の日本から大英帝国への避難(1941年2月19日)
- 連合国国民の日本から大英帝国への避難(1941年3月3日~3月4日)
- 連合国国民の日本から大英帝国への避難(1941年3月27日~4月)
- 連合国国民の日本から大英帝国への避難(1941年3月26日~4月9日)
- 連合国国民の日本から大英帝国への避難(1941年4月25日~5月8日)
- 連合国国民の日本から大英帝国への避難(1941年5月1日~5月14日)
- 連合国国民の日本とタイから大英帝国への避難(1941年3月18日~3月25日)
- オーストリア系ユダヤ人の日本から大英帝国への避難(1941年8月7日~8月30日)
- チェコスロヴァキア国民の日本からの避難(1941年3月25日)
- チェコ、その他の連合国国民の日本からの避難(1941年4月18日~5月7日)
- チェコ、その他の連合国国民の日本からの避難(1941年5月23日)
- ハンガリー人、ルーマニア人、フィンランド人、日本人の扱い(1941年12月12日~16日)
- ポーランド人の日本からビルマへの避難(1941年8月9日~10月2日)
- ポーランド人の日本からビルマへの避難(1941年8月21日~12月1日)
- ポーランド人の日本からビルマへの避難(1941年11月22日)
- ポーランド人の日本からビルマへの避難(1941年12月2日)
- ポーランド人の日本からニュージーランドへの避難(1941年6月25日~27日)
- ポーランド人の日本からニュージーランドへの避難(1941年7月14日~15日)
- ポーランド難民の日本経由での避難(1941年2月1日~10月20日)
- 三人のリトアニア人の日本からの避難(1941年6月6日~7月8日)
- イギリス人の日本からの全般的避難(1940年10月~1949年9月)
- インドにおける日本人の強制収用:インド及びその他の地域での日本人強制収容所の状態(1941年12月~1946年3月)
- 中国、東南アジア、南西太平洋の占領地域における朝鮮人と日本人(1945年2月9日~3月5日)
- 中国、東南アジア、南西太平洋の占領地域における朝鮮人と日本人(1945年3月4日)
- 中国、東南アジア、南西太平洋の占領地域における朝鮮人と日本人(1945年4月16日)
- 日本、中国占領地域、タイ、インドシナにおけるルクセンブルク国民(1942年1月17日)
- 国際機関へのドイツと日本の加盟と国際会議における両国の代表(1947年5月20日)
- 日本におけるポーランド難民(1941年)
- 日本軍占領地域からのイギリス人の本国送還とイギリス領からの日本人の本国送還:第二次交換(1943年6月~1944年5月)
- 日本人ミリー・ヨシ氏への勾留命令の撤回(1942年2月24日)
- 日中戦争:難民の中国からの避難(1937年8月15日~1938年1月4日)
- 日中戦争:上海の難民への対応(1938年2月2日~11月2日)
- 日中戦争:収容能力の不足による難民入国制限(1938年5月30日~6月1日)
- 日中戦争:中国南部非武装地域における難民収容所設置の提案(1938年6月1日~1939年1月11日)
- 日中戦争:難民(1939年1月17日~12月5日)
- 米日交換(1943年5月~1947年10月)
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関連分野
- ヨーロッパ研究
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