Newspapers of the French Revolution 1848 (Journaux de la Révolution de 1848)
19世紀前半のフランスでは、輪転機など印刷に関わる技術革新によって新聞製作のコストは大きく低下しました。また、新聞に対する規制が緩和され、新しい新聞が続々と発行されました。1836年には19世紀フランスの新聞王、エミール・ド・ジラルダンが大衆紙『ラ・プレス』を創刊し、大衆紙の時代が到来します。新聞の連載小説が始まったのもこの頃で、新聞連載小説から多くのベストセラーが誕生します。19世紀前半のフランスでは教育の効果によって、識字率が高まり、新聞読者層が拡大しました。広範な大衆が新聞を読む環境が19世紀半ばのフランスには成立していました。
このような状況の中で1848年2月に勃発した革命は、新しい政治体制を生んだと同時に、多くの新聞をも生みました。革命直後に創刊された新聞の数はパリだけで400紙以上を数えました。1848年の革命では1789年の革命や1830年の革命以上に、政治的言説を伝える媒体として新聞が機能しました。
本コレクションは、大英図書館が所蔵する1848年の2月革命から1852年の第二帝政成立までの期間に発行された新聞を集めたものです。コレクションには革命後に創刊された新聞だけでなく、革命前に創刊された新聞も含まれますが、各々の新聞は革命からルイ・ボナパルトのクー・デタを経て第二帝政が成立するまでの激動のプロセスを伝えます。
《収録紙の例》
- エマーブル・フォーブリアン(L'Aimable Faubourien)
副題は「ジュルナール・ド・ラ・カナーユ」。カナーユは下層民、不良、ごろつきといった意味で、下層民に向けて発行された特異な新聞。 - アミ・デュ・プープル(L’Ami du Peuple en 1848)
化学者にして政治家であったフランソワ-ヴァンサン・ラスパイユがフランス革命のときにマラーが発行した新聞の名前を取って発行。紙名は「人民の友」の意。標題の左右に「神と祖国、思想の完全無欠の自由、無制限の宗教的寛容、過去の忘却、未来への用心、普通選挙」との標語を掲げた。 - アポートル・デュ・プープル(L’Apotre du Peuple)
- アトリエ(L’Atelier)
クロード・アンティム・コンボンら労働者のみによって創刊、編集された最初の労働者新聞。フィリップ・ビュシェが主張した社会的カトリシズムの影響の下、協同組合による社会改革の必要性を訴えた。パウロの「働かざる者食うべからず」を題辞に掲げた。 - バンケ・ソシアル(Le Banquet Social)
ジョルジュ・オリヴィエを編集長としてパリ第12区で発行された民主社会主義系の新聞。 - ボン・サンス・デュ・プープル(Le Bon Sens du Peuple)
ウジェーヌ・シューと並んで人気を博した大衆作家で探偵小説の父とも称されるポール・フェヴァルが発行した共和派の新聞。「正直な人々の新聞」の副題を掲げた。 - ラ・コーズ・デュ・プープル(La Cause du Peuple)
ジョルジュ・サンドが発行。 - サンスール・レピュブリカン(Le Censeur Républicain)
急進的民主主義の新聞。 - シャリバリ(Le Charivari)
19世紀イギリスの絵入り諷刺新聞といえば『パンチ』だが、19世紀フランスの絵入り諷刺新聞といえば『シャリバリ』。共和派。 - クリスト・レピュブリカン(Le Christ Républicain)
「共和主義的キリスト」という名の通りの反教会的新聞。 - コミューン・ド・パリ(La Commune de Paris)
マリー=ジョセフ・ソブリエが創刊した急進的なモンタニャール派の新聞。革命後の様々な革命クラブの動向を報じ、革命クラブの連合の必要性を訴えた。ジョルジュ・サンド、ウジェーヌ・シューらが寄稿した。 - コンスティテュシオネル(Le Constitutionnel)
1815年創刊。19世紀フランスのベストセラー作家ウジェーヌ・シューの代表作『さまよえるユダヤ人』を連載した。共和派だが、2月革命後は労働者に対立する論調に。 - デモクラシー・パシフィック(Democratie Pacifique)
フーリエの弟子、ヴィクトル・コンシデランが1843年に創刊し、フーリエ主義の普及に務めた。 - ドロワ・ド・ロム(Les Droits de L’Homme)
「自由、平等、友愛、連帯、諸民族の同盟」という副題を掲げた急進派の短命新聞。 - エスプリ・デュ・プープル(L’Esprit du Peuple)
シャルル・デゾルムが編集長を務めたモンタニャール派系の新聞。 - ガゼット・デ・トリビュノ(Gazette des Tribunaux)
タイトルの通り、裁判記録を掲載。 - ジュルナル・デ・トラヴァイユール(Le Journal des Travailleurs)
2月革命後に労働者の要求を検討するために臨時政府によって労働者と雇用者が参加する「労働者のための政府委員会」(いわゆるリュクサンブール委員会)が設置されたが、ここに送られた労働者代表によって創刊された新聞。「アソシアシオンによる労働の組織化」「人間による人間の搾取の終焉」との題辞を掲げた。 - モニトゥール・ユニヴェルセル(Le Moniteur Universel)
官報 - モンターニュ(Le Montagne)
プルードン、ジョルジュ・サンド、フェリシテ・ド・ラムネー、ピエール・ルルーらが編集に携わる。 - オピニオン・デ・ファム(L’Opinion des Femmes)
「ポリティック・デ・ファム」が改称。 - オルガニザシオン・デュ・トラヴァイユ(L’Organisation Du Travail)
6月蜂起の際、パリ第8区の兵営や区役所を占拠するなど指導的役割を果たしたレオン・ラコロンジュが発行した新聞。 - ペール・デュシェーヌ(Le Père Duchêne)
急進的左翼勢力のモンタニャール派(山岳派)の新聞。フランス革命の指導者の一人、エベールが発行した同名の新聞が有名だが、エベールの新聞と同様、急進的勢力を代弁した。労働者による6月蜂起の原因の一つを作ったと言われるほど、大きな影響力を及ぼした。 - ペール・デュシェーヌ(Le Père Duchêne)
モンタニャール派の新聞と同名の新聞で「元暖炉製造人、93年のサン=キュロット」の副題を掲げた。 - プープル(Le Peuple)
プルードンが発行。「民主的・社会的共和国新聞」の副題と「自由、平等、友愛」の題辞を掲げた。 - プープル・スヴラン(Le Peuple Souverain)
「労働者新聞、熱烈なる社会的・民主主義共和国。自由な労働者の共和クラブによって創刊」リヨンで発行(?) - ポリティック・デ・ファム(La Politique des Femmes)
「ヴォワ・デ・ファム」が改称。 - ポピュレール(Le Populaire)
イカリー派共産主義者の新聞、エティエンヌ・カベが発行。 - プレス(La Presse)19世紀フランスの新聞王エミール・ド・ジラルダンが1836年に創刊した大衆紙。
- レフォルム(La Réforme)
ルドリュ・ロランやフロコンら急進的左派とルイ・ブランらの社会主義者が創刊。 - ルプレザンタン・デュ・プープル(Le Représentant du Peuple)
当初、「生産者の日刊紙」として創刊されたが、2月革命後は「労働者の日刊紙」との副題をつけ、プルードンが編集主幹として参加した。 - レピュブリーク(La République)
共和派から出発し、次第に社会主義的傾向を強めた。 - レピュブリーク・フランセーズ(La République Français)
- ロベスピエール(Le Robespierre)
フランス革命のジャコバン派指導者の名前を紙名にしている通り、民衆の立場に立ち、悪を告発した。「社会改革新聞」の副題を掲げる。 - トラヴァイユ・アフランシ(Le Travail Affranchi)
フーリエの弟子のフランソワ・ヴィダルとアルフォンス・トゥスネルが革命の翌年1849年に創刊。副題に「労働者協同組合新聞」とある。 - トリビューヌ(La Tribune)
共和派。 - ヴュー・コルドリエ(Le Vieux Cordelier)
ラルデが創刊。フランス革命の指導者の一人、カミーユ・デムーランが創刊した新聞から紙名を取る。「民衆の旗ー友愛、平等、自由」の副題を掲げた。コルドリエとはフランス革命の指導者が設立した諸々のクラブの一つ、コルドリエ・クラブのことで、タイトルは「老兵コルドリエ」の意。 - ヴュー・コルドリエ(Le Vieux Cordelier)
ラルデの新聞と同じくカミーユ・デムーランの新聞から名前を取った新聞で、ラルデの新聞と同時期に刊行された。印刷工マルセル・デシャンが創刊。「社会革命の新聞」の副題を掲げる。 - ヴォワ・デ・ファム(La Voix des Femmes)
女性解放を主張したジャンヌ・ドロワンがウージェニ・ニボワイエらとともに設立した女性の声協会の機関紙として創刊された。 - ボワ・デュ・プープル(La Voix du Peuple)
(マイクロ版タイトル:Newspapers of the French Revolution 1848)
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関連分野
- 西ヨーロッパ研究
- 19世紀研究