Records of the U.S. State Department: Korea; Political and Governmental Affairs, February 1963-1966, Subject-Numeric File POL
本コレクションは、1960年代半ばの南北朝鮮の政治情勢に関する国務省の外交文書を収録するものです。国務省一般記録群(RG59)は1963年2月に、それまでの十進分類法(Decimal File)から主題・番号分類法(Subject-Numeric Files)へファイリング・システムが変更されました。収録文書は、政治(POL)の大分類が与えられた約13,000ページの文書群を収録します。朴正熙が大統領に就任し第三共和国が成立し、日韓基本条約締結を経て経済成長が始まり、韓国現代史の転換期に位置づけられる1960年代半ばの朝鮮半島の政治情勢が米国の外交文書を通して明らかになります。
1948年の大韓民国建国以来大統領職にあった李承晩(イ・スンマン)は1960年の大統領選挙で4選を果たしましたが、不正選挙に対する抗議運動に端を発した反政府運動により退陣を余儀なくされました。副大統領を務めていた張勉(チャン・ミョン)が総選挙を経て大統領に就任しますが、翌1961年、朴正熙(パク・チョンヒ)等を指導者とする軍がクーデタを敢行、戒厳令を施行します。
軍は立法・行政・司法の三権を掌握する軍事革命委員会(後に国家再建最高会議)を組織し、軍政が始まりました。1963年には韓国中央情報部(KCIA)が発足、以後政治犯の取り締まりに強大な権力を発揮します。2年間の軍政を経た1963年には朴正熙が民主共和党の総裁として大統領に選出され、第三共和国が成立します。以後、朴正熙は中央情報部部長に暗殺される1979年まで大統領を務めます。
国際関係では、共産主義に対する強固な防波堤を構築する米国の東アジア政策の下で、日本との関係改善に向けた動きが1950年代から続いていましたが、1960年代に入りベトナム戦争への介入を深める米国は後方支援体制を整備するために日本との関係改善を韓国に要求します。しかし国内では日本との国交正常化を批判する運動が高まり、韓日首脳会談に反対する大規模なデモを受けて1964年6月3日には戒厳令が宣布されます。この抗議行動を北朝鮮の指令に基づく体制転覆の試みであるとして、8月14日には中央情報部が人民革命党を摘発します(後にフレームアップであることが判明)。反対運動が強権的に弾圧される中、1965年に日韓基本条約が締結され、日本との国交が正常化します。
日韓基本条約で明文化された対日賠償請求権放棄の代償として日本から獲得した援助資金、さらに米国の東アジア政策の一環としての経済支援を原資として、韓国は輸出主導型の工業化を軌道に乗せ、高い経済成長を実現します。その一方で米国の要請を受け、30万人以上に及ぶ大量の軍をベトナムに派兵しました。
(マイクロ版タイトル:Records of the U.S. State Department: Korea; Political and Governmental Affairs, February 1963-1966, Subject-Numeric File POL)
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