Korea: Records of the U.S. Department of State, 1930-1963
本コレクションは米国国立公文書館が所蔵する国務省一般記録群(RG59)のセントラル・ファイルの中から、日本統治下の1930年から独立、南北朝鮮の建国、朝鮮戦争を経て1963年までの33年間にわたる米国国務省の朝鮮関係外交文書約11,500ページを収録するものです。
収録文書は米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わした往復書簡で、この時代の政治・経済・社会情勢を米国の視点から克明に記録する資料群です(一部、商務省の文書も含みます)。国務省の受信文書はソウルの大使館、領事館の発信文書が大半ですが、日本の植民地時代の文書には日本の大使館や領事館の発信文書も含まれています。朝鮮戦争勃発直後にロンドン、フランクフルト、パリ、トリノ、モスクワ、ブカレスト、アンカラ、カイロ、ニューデリー、シンガポール、香港、東京、メキシコシティ、リマ等、世界各地の在外公館から国務省に送られた文書は、朝鮮戦争を巡る国際関係を明らかにする資料として貴重なものです。
収録文書は米国国立公文書館のファイリング・システムに基づき、大分類番号(Class Number)+国番号(Country Number)+小分類番号(Subtopic Number)で構成される文書番号が付与され、朝鮮(Korea)関係の文書は95の国番号が与えられてきましたが、南北朝鮮に分断されたことにより、1950年代(おそらく1955年)に韓国を95B、北朝鮮を95Aとする国番号が与えられました。米国は北朝鮮と国交を樹立していないため、1955年以降の収録文書の大半は95Bの国番号が付与されたものですが、95Aの国番号が与えられている一部の文書もあります。
1910年の日韓併合により朝鮮は1945年8月まで植民地として日本の統治下におかれました。この間、大日本帝国の臣民として朝鮮人を同化する政策として、日本語教育、神社参拝、創氏改名等の一連の皇民化政策が実施されました。戦時動員体制が進む中で1939年には国民徴用令が施行され、労働力を確保するための強制動員が行われました。
1945年8月の日本の無条件降伏により、植民地統治は終焉を迎えますが、国際政治においては1943年のカイロ宣言において朝鮮の将来的な独立が認められていました。日本が撤退した後の統治形態をめぐっては、1945年12月にモスクワで開催された米英ソ外相会談で米英中ソの信託統治を経て独立することが確認されたものの、国内では即時独立を求めて様々な政治勢力が組織活動を展開しました。
そのような状況の中で、南部では実権を掌握した親米派の李承晩を初代大統領として大韓民国が1948年8月に成立、北部では実権を掌握した金日成を首班とする朝鮮民主主義共和国が1948年9月に成立しました。こうして東西冷戦の最中に、朝鮮半島では38度線を境界に分断国家が南北に対峙することになります。
そして、1950年6月、北朝鮮が38度線を越境し、朝鮮戦争が勃発しました。緊急招集された国連安全保障理事会で北朝鮮に撤退を求める決議案が採択されるも、北朝鮮の侵攻が続いたため、米軍を主体とする国連軍の派遣を決定、マッカーサーを総司令官とする国連軍が投入されます。10月には建国間もない中国の義勇軍が北朝鮮を支援するために参戦、これを受け中国本土爆撃を唱えるマッカーサーとトルーマン大統領が対立し、マッカーサーは1951年4月に解任されます。以後、戦線は膠着し、1953年7月に休戦協定が締結されました。その後、南北朝鮮の間では平和条約が締結されることなく、休戦状態が現在まで続いています。
(マイクロ版タイトル:Records of the Department of State Relating to the Internal Affairs of Korea, 1930-1939; 1940-1944; 1945-1949; 1950-1954; 1955-1959; 1960-1963)
《収録文書の例》
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関連分野
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