The Liberation Movement in Africa and African America
戦闘的な黒人民族主義と汎アフリカ主義を通して米国内の黒人はアフリカに関心を抱くようになりました。1960年前後、多くのアフリカ諸国が独立を果たし、国際政治の表舞台に登場したことは、黒人の民族主義を覚醒させることになり、米国内の公民権運動やブラックパワー運動を盛り上げる大きな要因として働きました。黒人民族主義と汎アフリカ主義の融合は、1972年にインディアナ州ゲリーで開催された全国黒人政治会議(National Black Political Convention)でクライマックスを迎えました。この会議はブラックパワー運動史上、政治的にも文化的にも知的にも最も重要な出来事としてみなされています。また、アフリカ統一機構の設立を記念して始まったアフリカ・リベレーション・デー(現アフリカ・デー)のイベント開催(1972年)が大成功を収めた際、アフリカ解放を推進するための統一組織を設立する機運が高まり、アフリカ解放支援委員会(African Liberation Support Committee, ALSC)が設立されました。
一方、ガーナ独立運動の指導者で独立後初代大統領に就任したクワメ・エンクルマは、1968年に刊行した『革命戦争ハンドブック(Handbook of Revolutionary Warfare)』の中で、サハラ以南の解放運動を支援するための全アフリカ人民革命党(All-African People’s Revolutionary Party, A-APRP.)の結党を呼びかけていました。アメリカ国内の黒人解放運動は全アフリカ人民革命党の影響力を支援し、黒人社会にその影響力を浸透させることを試みました。ブラックパンサー党や黒人解放軍のような戦闘的、急進的団体は、組織の目標が全アフリカ人民革命党の目標に近いところがありました。
連邦捜査局(FBI)はアフリカ支援委員会と全アフリカ人民革命党を破壊活動の団体と認定し、監視活動を行ないました。本コレクションは、全米各地のFBI支部から提供された両団体に関する監視報告や情報提供者からの情報、検閲された書簡、司法省の覚書や分析、押収されたチラシ、パンフレット、ニュースレター、過激派諜報部(Extremist Intelligence Section)の報告等を収録します。
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