The Papers of Sir Ernest Mason Satow
本コレクションは、英国国立公文書館が所蔵するアーネスト・メイソン・サトウ(Ernest Mason Satow, 1843-1929)の日記・紀行文集のオリジナル自筆文書を収録することに加え、全7巻の書籍として刊行された翻刻版も収録することで全文検索に対応した画期的なリソースです。
収録されている日記・紀行文は、イギリスを出発した1861年11月4日から死の3年前の1926年までの65年間におよびます。また、本コレクションには日記・紀行文集の他に、書簡その他の文書も収録されています。これらの文書全体の収録期間は、1856年から1927年までです。従来のサトウ研究は、萩原延壽の大作『遠い崖 ― アーネスト・サトウ日記抄』を筆頭に、日本滞在期に焦点が当てられてきましたが、本コレクションは外交官としての全活動時期に加え、引退後の時期までカバーすることにより、サトウの生涯の全貌に迫るものです。
アーネスト・メイソン・サトウは、イギリス外務省の通訳生として幕末の1862年に来日、1882年に離日するまでの20年間にわたり、通訳官、書記官として日本で活動しました。その活動の範囲は、日本側との交渉、要人との人脈形成、日本各地への視察旅行、「英国策論」等の時論の発表から、『開国史談』『近世史略』等の日本の文献の英訳・出版、『英和口語辞典(An English-Japanese Dictionary of the Spoken Language)』の編纂、日本関係書籍の蒐集まで、一外交官の枠を遥かに超えて広範囲におよびました。
サトウが関係した人物は、西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文、井上馨、後藤象二郎、山内容堂、徳川慶喜、勝海舟、陸奥宗光ら、幕府、幕末雄藩、明治新政府の多くの要人を数えます。また、薩英戦争、下関戦争には通訳官として交渉の一翼を担い、大政奉還から鳥羽・伏見の戦いを経て江戸城無血開城にいたる激動の時期は大阪、京都、江戸にあって事態の推移を間近で観察できる立場にありました。明治初年の遣欧使節団出発の直前には特命大使の岩倉具視と会談し、条約改正問題等について意見交換し、西南戦争が勃発すると鹿児島を訪問し西郷隆盛と会談するなど、当事者である要人とのパイプを存分に生かし、事態の推移を観察し、あるいは自ら助言し、秘書として仕えた公使のオールコックやパークス以上の存在感を示し、幕末明治初期の日本政治と日英関係に多大な足跡を残しました。
日本滞在時の体験を記録した回想録『日本における一外交官(A Diplomat in Japan)』(邦訳『一外交官の見た明治維新』)は、第一級の史料として現在にいたるまで読み継がれています。幕末明治期に日本に滞在し、回想録を残した多くの欧米人の中にあって、サトウの知名度が群を抜いて大きいのは、サトウの広範な活動と回想録に因るところが大きいと言えるでしょう。
しかし、サトウの生涯を振り返ると、日本での任務は外交官キャリアの重要ではあるが、一部をなしていたに過ぎません。1882年に日本を離れると、タイ駐箚総領事(後、駐箚公使)、ウルグアイ駐箚公使、モロッコ駐箚公使、清国駐箚公使として外交官キャリアの道を進みました。清国公使時代は義和団事件後の北京議定書調印に向けて尽力しました(モロッコ公使を離任する1895年から清国公使に着任する1900年までの5年間、駐箚公使として日本に再度赴任します)。
1906年に外務省での公務を引退した後は、ハーグ国際仲裁裁判所のイギリス代表に任命され、また1907年のハーグ国際平和会議には特命全権大使に次ぐ公使として参加しました。外交官としての実務に加え、外交官としての豊かな経験を糧に研究・教育にも情熱を注ぎ込みました。ケンブリッジ大学の由緒あるリード講演(Rede Lecture)に招聘された折は、オーストリアの外交官アレクサンダー・フォン・ヒューブナーを講義のテーマに選びました。ヒューブナーは、世界周遊旅行の途次日本に立ち寄った関係で、サトウにとっては旧知の人物でした。
また、18世紀半ばのイギリス・プロイセン間の借款問題を扱ったモノグラフ『シレジア借款とフリードリヒ大王(The Silesian Loan and Frederick the Great)』、外交実務マニュアル『外交実務案内(A Guide to Diplomatic Practice)』のような書籍の出版にも精力的に取り組みました。後者は、初版刊行後も版を重ね、カリエール『外交談判法』やハロルド・ニコルソン『外交』等と並ぶ外交分野の基本図書として、現在にいたるまで読み継がれています。
さらに、外交官職を辞す前、賜暇休暇中に訪問したパリで日本研究者レオン・パジェスに会ったことが機縁となり、キリシタン文献に眼を開かされ、各地で調査を重ねた末、『日本耶蘇会刊行書誌(The Jesuit Mission Press in Japan, 1591-1610)』を私家版で刊行、書誌学者としての才能も発揮します。さらに、『朝鮮地名リスト(Lists of Korean Geographical Names)』等の業績を加えれば、日本での外交官の任務はサトウの一面に過ぎず、その才能は多方面で発揮されたことが分かります。
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