The U.S. Civilian Advisory Effort in Vietnam: U.S. Operations Mission, 1950-1954 / 1954-1957
本コレクションは米国国立公文書館より、国務省によるベトナムへの経済技術支援を担った経済援助施設団(U.S. Operations Mission, USOM)の使節団長室(Office of the Director, 1954年にExecutive Officeに改名)による機密ファイル(Classified Files)と主題ファイル(Subject Files)を収録します。使節団の通信、書簡、報告書、会議議事録、人事情報、統計データ等で構成される収録資料は、農業、教育、医療、公共事業、通信、交通、行政、住宅、地域開発、土地制度改革等の各分野における1950年代前半の対ベトナム経済・技術支援の実情を明らかにします。
年代別の以下の2部から構成されます:
- 1950-1954年
- 1954-1957年
1949年の中華人民共和国の建国は、米国に極東における共産主義拡大の恐れを増進させ、対抗策として集団安全保障体制、経済援助、軍事支援で構成される政策枠組を極東で導入することを試みました。米国議会は、自由と権利を防衛し、独立と安全を守り、経済と社会の幸福を実現することを目的として、国連憲章に合致した自助及び相互援助の組織を極東に創設することに対して支持を表明しました。しかし、欧州の北大西洋条約機構(NATO)と同種の集団安全保障体制を極東で創設することは至難であり、米国としては集団安全保障体制の創設は断念し、東アジアにおける共産主義の更なる拡大を阻止する方向での安全保障政策が実行に移されました。この政策ラインに沿う形で、朝鮮戦争への対応、東南アジア条約機構(SEATO)の創設、ベトナムへの介入が行われました。
植民地ベトナムの宗主国フランスは1950年代初頭、ベトナムの行政権をバオ・ダイのベトナム国に移管する最初の措置を講じました。一方でホーチミンはベトナム国の正当性を否認し、ベトナム人民の唯一の合法的政府としてベトナム民主共和国の建国を宣言し、中国とソ連の承認を得ました。フランス国民議会は1950年1月29日、ベトナム国に自治権を付与する法律を可決、2月4日にはベトナム国の独立を批准します。同日、ベトナム国は米国によっても承認されます。こうして、ベトナムには自由主義陣営が承認するベトナム国と共産主義陣営が承認するベトナム民主共和国という2つの国家が対峙することになりました。経済援助施設団はこのような状況下で、国務省によりサイゴンの米国大使館の付属機関として創設され、以後ベトナムへの経済技術支援の実務を担いました。
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関連分野
- 東南アジア・南アジア研究
- 植民地主義
- 政治学・外交研究
- 20世紀研究