U.S. Military Activities and Civil Rights: Integration of the University of Mississippi and the Use of Military Force, 1961-1963
本コレクションはジェイムズ・メレディスが黒人として初めてミシシッピ大学に入学した際に発生した騒乱と連邦政府と州政府の対峙に関する陸軍参謀本部作戦部長室文書を収録するものです。大学における人種統合を連邦政府による軍事行動の視点から明らかにします。
1962年秋、ミシシッピ州の大学町オックスフォードは騒然とした空気に包まれました。ミシシッピ大学への入学を試みていたアフリカ系アメリカ人のジェイムズ・メレディスを巡り、大きな論争が巻き起こっていました。当時、ミシシッピ大学は在籍する学生がすべて白人であり、アフリカ系アメリカ人に門を閉ざすという人種隔離が公然と行われていましたが、教育機関における人種隔離を違憲とするブラウン判決が1954年に最高裁で出されたことを追い風に、メレディスはミシシッピ大学への入学を試みました。
ジャクソン州立大学に在籍していたメレディスは、州最高峰の大学とされていたミシシッピ大学に編入するため試験を受け、優秀な成績を収めたにも関わらず、大学から入学を拒絶されました。ブラウン判決が出された後も、教育の現場では人種統合に対する反動が依然として根強く残存していました。メレディスは即座に全米有数の公民権団体である全国黒人向上協会(NAACP)に支援を求め、訴訟を起こします。第一審では敗訴したものの、控訴審では勝訴を勝ち取りました。
しかし、控訴審判決はミシシッピ州の反人種統合感情に火を付けました。強硬な人種隔離論者の州知事は、大学に対して控訴審判決を無視し、メレディスの入学を拒絶するよう命じます。ミシシッピ大学の学生や住民は、メレディスが入学のために、キャンパス内で登録を行なうのを妨害する挙に及び、メレディス入学を巡り、ミシシッピ大学とその周辺は不穏な空気に包まれます。ここに至り、連邦政府は軍隊をミシシッピ大学へ派遣することを決定しました。
実は、メレディスはケネディ大統領に書簡を送り、連邦政府の支援を要請していました。当初事件に関与することを躊躇していた大統領も、州知事が公然と連邦裁判所の決定を無視したのに加えて、暴動が発生する恐れが生じている事態に至り、静観するわけにはいかなくなり、メレディスの入学をミシシッピ大学に要請するために軍事力の使用を許可する大統領令を発行し、歩兵部隊、空挺部隊、憲兵隊、州兵軍の派遣を決定しました。
メレディスは連邦保安官の護衛により、入学を果たすことができましたが、人種統合に反対する学生や住民が暴動を起こし、2人が死亡し、数十人が負傷しました。メレディスのミシシッピ大学入学の試みは、アフリカ系アメリカ人による人種隔離への挑戦という問題を超えて、「南北戦争以来最も深刻な連邦政府と州政府の闘争」(『タイム』誌)という性格を帯びるに至りました。
本コレクションは、米国国立公文書館が所蔵する「陸軍参謀本部作戦部長室文書・国内騒乱関係ファイル・ミシシッピ州オックスフォード作戦関係文書(RG 319: Records of the Army Staff, Office of the Deputy Chief of Staff for Military Operations, Domestic Disturbance Files: Records of the Oxford, Mississippi Operation, 1961-1963)」を収録するものです。
文書はメレディスのミシシッピ大学入学時に実施された連邦保安官、米軍、州兵の利用に関するもので、1962年9月30日の暴動、バーネット州知事による連邦保安官妨害の試み、キャンパスでの出来事等々を記録するとともに、大統領令、連邦政府の関与に関する費用と教訓に関する事後報告、軍の関与に関する議会の書簡を通して、連邦政府による軍事介入の決定と実施のプロセス、事件がメディア、市民、学生、大学に与えた影響を詳らかにします。これらの記録は連邦政府が世論に非常に敏感に反応し、連邦政府介入の合法性を精査していたことを示しています。大学における人種統合を連邦政府による軍事行動の視点から明らかにする貴重な文書群です。
(マイクロ版タイトル:U.S. Military Activities and Civil Rights, Part 1: The Integration of Alabama Schools and the Use of Military Forces, 1963)
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