United States and the Russian Civil War: The Betty Miller Unterberger Collection of Documents
本コレクションはロシア内戦と干渉戦争(シベリア出兵)に関わる各国の政治家、外交官、軍人、団体の文書(書簡、日誌、諜報記録)を集めたものです。原資料は、テキサスA&M大学で長く教授を務め、アメリカ外交史協会の会長を歴任したベティ・ミラー・ウンターバーガーが長年の研究活動の中で収集した文書で、総計8,000点におよびます。収録文書の多くはアメリカの政治家、外交官、軍人のものですが、ロシア、イギリス、フランス、チェコスロヴァキア、日本、ドイツ等の関係者の文書も含みます。いずれも内戦やシベリア出兵の当事者の文書で、誰と誰がいつ、どのような文書を交換していたか、誰がどのような情報を持っていたか、誰からどのような情報を入手したか、外交や軍事に関わる意思決定がどのようなプロセスで行なわれたか、等々を克明に明らかにします。
各文書には、文書の発信者、受信者、発信日、簡単な要約を記したウンターバーガー作成の1ページの梗概が付されています。収録文書の大半は英語ですが、英語以外の文書は大半が英訳されています。
第一次大戦末期の1917年、十月革命で政権を獲得したソヴィエト政権は、翌1918年、ドイツと単独講和を締結し戦争を離脱しました。しかし、社会主義国家の建設に向かうソヴィエト政権の前には反革命勢力が立ちはだかり、ロシアは内戦に突入します。ソビエト政権を警戒する連合国は十月革命直後から干渉の機会を伺っていましたが、それぞれの思惑を抱え、共同行動を取る体制が出来ません。
そのような状況の中で、シベリア鉄道沿線でチェコスロヴァキア軍団の反乱が発生しました。第一次大戦でオーストリア軍の下で戦い、ロシア軍に投降し、捕虜になっていたチェコ人とスロヴァキア人をフランス軍の指揮下に置き、西部戦線の対独戦に従事させる協定がチェコ独立運動指導者トマーシュ・マサリクとフランス政府の間で締結され、ロシア領内のチェコスロヴァキア軍団をウラジオストーク経由で輸送する計画が立てられたものの、輸送計画が頓挫し、ソヴィエト政権と対立した軍団が決起しました。
ソビエト政権からチェコスロヴァキア軍団を救出するという大義名分を得た連合国は対ソ干渉戦争を本格化させます。日本とアメリカはウラジオストークを拠点にシベリアに出兵、イギリスとフランスもアルハンゲリスクに進軍し、コルチャーク将軍の下に結集したロシア国内の反革命勢力(白衛軍)とともに、ソビエト政権包囲網を形成しました。
しかし、軍事に精通した旧帝政ロシアの将校・将軍の抜擢や徴兵制の採用による赤軍の立て直し、革命による土地を獲得した農民のソソビエト政権支持、白衛軍・連合国軍の間の利害対立により、反革命勢力は敗北しました。各国も1920年以降撤兵しますが、その後も単独駐留した日本は特に米国との外交関係に禍根を残すことになります。
(マイクロ版タイトル:United States and the Russian Civil War: The Betty Miller Unterberger Collection of Documents)
さらに詳しく
関連分野
- 東欧・ロシア研究
- 第一次世界大戦