Chinese Maritime Customs Service Publications
外国人税務司制度の創設以来、中国海関は英文出版物を編纂・刊行しました。本コレクションは、南京の第二歴史檔案館が所蔵する海関による出版物を収録する中国第二歴史檔案館・中国海関総署弁公庁編『中國舊海關史料(1859-1948)』全170巻(北京:京華出版社,2001)をデジタル化したものです。収録出版物は広範囲におよびますが、貿易統計が大半を占めます。言語は大半が英語ですが、中国語版も一部収録されています。19世紀半ばから20世紀半ばまでの100年間にわたる近代中国貿易史の第一級の資料です。
《関連エッセイ》
「中国海関の紹介 1854年~1949年」リチャード・S・ホロウィッツ(日本語訳)
《収録文献》
- Returns of the Import and Export Trade (or Returns of the trade), 1859–1866
- Returns of Trade at the Treaty Ports in China, 1867–1881
- Returns of Trade at the treaty Ports and Trade Report, 1882–1919(英中二か国語、1885年の中国語版は欠落)
- Foreign Trade of China, 1920–1931(英中二か国語)
- The Trade of China, 1932–1948(英中二か国語)
- Decennial Reports on the Trade, Industries, etc., of the Ports Open to Foreign Commerce, and on the Condition and Development of the Treaty Port Provinces, 1882–1931(英中二か国語)
- Annual Returns of the Foreign Trade of Manchoukuo, 1932–1936(英中二か国語)
- Monthly Returns of the Foreign Trade of Manchoukuo, January 1938–September 1940(英中二か国語)
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《中国海関と外国人税務司制度について》
1850年代の中国では太平天国の乱や宗教結社や不法集団の活動により社会が不安定化、貿易の脱税や密輸が横行、清朝による関税徴税業務は破綻を来していました。この状況の中、アヘン戦争後の南京条約以来始められた条約港を通じた貿易活動の停滞を恐れたイギリスは、独自に関税業務を実施することが急務であると考え、清朝の伝統的な徴税機関である海関において清朝官吏に代わり業務を代行、ここに外国人税務司制度が創設されます(1854年)。
当初上海に設置された外国人税務司を他の条約港にも設置することが論議される中で、1859年、各条約港の海関を統括し、雇用外国人の人事をつかさどる総税務司が創設され、ホレイショ・レイが就任、外国人税務司制度は広州、汕頭など他の条約港に拡大します。こうして清朝の伝統的な関税徴収機関である海関は、組織的には中国の行政機関としての体裁を取りつつも、外国人が中心となって運営する機関として生まれ変わりました。
就任4年後に解任されたレイの後に総税務司に着任したのがロバート・ハート。卓越した行政能力を備え、人事権の掌握を背景に強大な権限をもち、半世紀近くにわたり海関行政に君臨し、「最も影響力のある外国人」と言われたハートの時代に、海関組織は最盛期を迎えます。
当初は上海欽差大臣の下に置かれた総税務司は、ハートの時代に清朝の外交、関税、郵政等を管轄する総理衙門直属のポジションになり、海関本部も上海から北京に移動しました。本部が北京に移動したことにより、総理衙門高官との人脈が深まる中で、ハートや海関幹部は清朝役人の顧問として、様々な助言を行ないました。海関の活動領域も関税管理を超えて、灯台の設置・運営、密輸取締、河川・港湾・鉄道の治安活動、郵便事業の運営から、貿易統計や船舶向け航海案内や気象、公衆衛生に関する報告の刊行、教育機関の運営、さらには中国の外交活動への関与、対外使節団派遣への資金供与、万国博覧会への出展指導まで、近代化を推進する清朝政府の諮問機関として清朝の財政、外交に多大な影響をおよぼしました。
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- 中国研究
- 課税と交易