The Dublin Castle Records, 1798-1926
本コレクションは、英国国立公文書館が所蔵する植民地省旧蔵アイルランド行政府関係文書[CO 904、Dublin Castle Records]を収録するものです。
イギリスのアイルランド統治は国王の代理であるアイルランド総督の下、イギリス内閣の閣僚でアイルランド行政の最高責任者であるアイルランド担当大臣と事務方のトップであるアイルランド担当次官を中心に運営されていました。ダブリン城に置かれたアイルランド行政府はアイルランド担当大臣局を中核として、財政、法務、治安維持、公共事業、土地、農業、地方行政、軍事等の諸部門で構成されていました。ロンドンにはアイルランド事務所が置かれ、アイルランド関連法案の起草や担当大臣の答弁の準備等の実務を行なっていました。
収録文書は法務、治安維持、反政府団体、共和主義者の動向等、民政、軍政両面に関する行政府の一次資料で、アイルランド合同から独立に至るアイルランド統治の実態を統治機関の視点から見た文書として極めて貴重なものです。収録期間は、アイルランド合同から自治領として独立を実現するまでの約130年間ですが、大半の文書は1890年代以降のものです。文書は手書き文書とタイプ打ち原稿です。
18世紀末に議会の立法権を回復し自治を実現したのも束の間、アイルランドは合同法により1801年に連合王国に併合されました。合同以前から持ち越された多数派カトリック教徒の政治的解放が、19世紀を通じてアイルランド最大の政治的懸案となります。ダニエル・オコンネル率いるカトリック解放運動が展開する中、1829年のカトリック教徒解放法により、カトリック教徒の政治的権利の回復が実現します。しかし、プロテスタント系地主がカトリック教徒の農民や小作人を収奪する構造は変わらず、宗教的にもアイルランド国教会が優越的地位を維持していました。1840年代のジャガイモ不作による大飢饉は多くの死者を出し、農業社会アイルランドに深刻な打撃を与えました。海外への移民による人口流出が続き、アイルランドは19世紀末まで人口が減少し続けます。
19世紀後半、グラッドストン自由党内閣はアイルランド問題の解決に乗り出します。1869年にはアイルランド国教会を廃止、収奪される小作農が土地戦争という形で不満を爆発させる状況が続く中、自作農の創設を目指すアイルランド土地法を制定します。世紀前半の政治的権利の回復後に新たな政治課題として浮上した独立運動は、フィニアン運動の下での武装闘争路線から議会主義による自治権獲得運動へ移行します。議会における自治権獲得運動を率いたのがアイルランド国民党で、同党はグラッドストンからアスキスに至る自由党内閣によるアイルランド自治法案の議会提出に大きな役割を果たしました。その一方でアイルランド独立運動に抵抗の姿勢を示したのがプロテスタント系住民の多い北部アルスター地方で、連合王国残留派によりアルスター義勇軍が創設されると、これに対抗する形でカトリック系のアイルランド義勇軍が創設され、アイルランドは内乱勃発の危機に陥ります。
この状況を救ったのが第一次大戦の勃発です。第一次大戦勃発を受け、アイルランド義勇軍は戦争に協力しイギリス軍に従軍する多数派とイギリスへの非協力を貫く少数派に分裂しました。非協力派の一部は戦争をアイルランド独立の好機と捉え、1916年4月23日にダブリンで武装蜂起を敢行しました(イースター蜂起)。蜂起は直ちに鎮圧され、指導者は処刑されたものの、これを機に民衆の間に独立の機運が一気に高まり、アイルランド独立へ向けて事態は加速しました。
第一次大戦終結後、国民議会が創設され独立が宣言されると、アイルランド義勇軍とイギリス軍の間で戦争が勃発しますが、1922年休戦が成立し、北部六州を除く地域が自治領として独立を実現し、アイルランド自由国が成立しました。
(マイクロ版タイトル:British in Ireland: Dublin Castle Records)
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