The Chamberlain Papers: The Papers of Joseph Chamberlain
本コレクションはバーミンガム大学図書館が所蔵するチェンバレン家文書よりジョゼフ・チェンバレンの文書を収録します。ねじ製造会社の経営者から政治家に転身し、後に外相と首相を輩出することになる政治家一族を築いた稀代の政治家の足跡を記録した文書です。以前のねじ製造会社時代の文書、商務相時代の文書、ジョゼフの演説を掲載した新聞記事、ジョン・モーリー、サー・チャールズ・ディルク、サー・ウィリアム・ハーコート、アーサー・バルフォア等の政治家と交わした書簡、政党や選挙等の国内政治に関する文書、アイルランド自治法案に関する書簡、植民地相時代の覚書、メモ、日記等の文書、ユダヤ人に東アフリカへの移民を提案する書簡、西アフリカにおける大英帝国の事業展開をはばむ熱帯病との闘いに関する書簡、南アフリカ高等弁務官ミルナー卿との書簡、帝国特恵関税改革に関する書簡、家族の写真アルバム等、様々な文書が収録されています。かつてウィンストン・チャーチルは、ジョゼフを英国政界における台風の目と評しました。本コレクションはジョゼフ・チェンバレンの実業家、政治家としてのキャリアを克明に記録するとともに、アイルランド自治法案や関税改革等、19世紀末から20世紀初頭にかけて英国政界に大論争を巻き起こした問題に新たな光を当てる資料群です。
ジョゼフ・チェンバレンの政治家としてのキャリアは1873年、37歳の時にバーミンガム市長に就任した時に始まりました。バーミンガム市長としては、キリスト教の改革理念に基づき、住宅、ガス、水道等、産業都市が抱える様々な問題に対処するシビック・ゴスペル(Civic Gospel)を主導し、その後都市計画の成功例として参照される基礎を作り上げました。1876年の下院議員選挙では自由党から出馬し当選、自由党急進派の領袖としての地位を確立し、第二次グラッドストン内閣に商務相として入閣します。1886年、第三次グラッドストン内閣が提出したアイルランド自治法案を巡り自由党が分裂すると、離党し自由統一党を結党します。
1895年の総選挙で勝利した保守党は自由統一党と合同(統一党)、ジョゼフは第三次ソールズベリ内閣に植民地相として入閣し、帝国主義政策を推進しました。南アフリカではセシル・ローズとともに大英帝国の権益拡大を図り、第二次ボーア戦争を遂行し、戦時下で行なわれた1900年総選挙では戦争支持に向けた世論醸成を図りました。経済政策では、ドイツや米国等の新興工業国への対抗措置として、英国と植民地・自治領を共通市場とし、域内貿易と域外貿易とで関税率を差別化する帝国特恵関税制度を提唱、伝統的な自由貿易制度との決別を迫る改革理念は党内に大きな論争を巻き起こしました。1903年には閣僚を辞任、関税改革同盟を結成し、閣外で新しい経済政策の実現に向けて世論の喚起に努めます。しかしながら、1906年総選挙では再選を果たすも、保守党・自由統一党連合は大敗を喫しました。ジョゼフは総選挙直後に脳卒中に倒れ、政界を引退します。
(マイクロ版タイトル:The Chamberlain Papers, Series Three: The Papers of Joseph Chamberlain)
《バーミンガム大学図書館所蔵 チェンバレン家文書集》
- ジョゼフ・チェンバレン文書集
- オースティン・チェンバレン文書集
- ネヴィル・チェンバレン文書集
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関連分野
- 植民地主義
- 政治学・外交研究
- 大英帝国史