FBI Surveillance of James Forman and SNCC
1928年、貧しい小作農民の家に生まれたジェイムズ・フォーマンは、ミシシッピ州にある祖母の農場で育てられた後、母親とともにシカゴに移住します。高校を卒業後、大学に入学するも、1学期で退学し、空軍に入隊し、4年間兵役に服します。除隊後に入学した南カリフォルニア大学在学中に、ロサンゼルス警察による不当逮捕と身体的・心理的虐待を受けたことが原因で精神障害に陥り、カリフォルニア州立精神病院に入院します。この経験が転機となり、フォーマンの政治思想は急進化します。その後、シカゴに戻り、ルーズベルト大学に入学、1957年1月に卒業しました。1961年に勧誘を受け、学生非暴力調整委員会(Student Nonviolent Coordinating Committee, SNCC)に加入し、SNCC本部の置かれたジョージア州アトランタを拠点に活動します。
SNCCは当時、南部を拠点に黒人のための有権者登録運動を精力的に展開していました。フォーマンは1966年までSNCCの事務局長として、有志の活動家のための交通、食糧、住居の手配や資金調達に尽力します。1967年から1969年までは、SNCCの国際部の部長を務め、ストークリー・カーマイケル議長の下で急進化するSNCCとブラックパワー運動との連携に精力を注ぎ込みました。
1969年にSNCCを離れると、非営利団体の失業・貧困行動委員会(Unemployment and Poverty Action Committee, UPAC)の立ち上げに関わり、1974年から2003年まで会長を務めました。その間、大学での研究に励み、コーネル大学からアフリカ・アフリカ系アメリカ人研究で修士号を、実験大学連合(Union of Experimental Colleges and Universities)から博士号を取得しました。大学を離れると、ワシントンD.C.で『ザ・ワシントン・タイムズ(The Washington Times)』や黒人アメリカニュースサービス(Black American News Service)を創設し、ニュース報道の仕事に従事したほか、著作の執筆や教育やドキュメンタリー制作など、多方面で精力的に活動します。2005年に大腸がんにより、76年の生涯を閉じました。
本コレクションは、ニューヨーク市立大学クィーンズ校のベンジャミン・S・ローゼンサール図書館が所蔵するジェイムズ・R・フォーマン文庫の収録文書を収録するものです。これらの文書は、フォーマンが連邦捜査局(FBI)、中央情報局(CIA)、空軍に対して度々行なった情報自由法に基づく文書開示請求の結果、入手したものです。
≪全体の構成≫
◆Series I: James Forman: FBI Reports, 1961 – 1976◆
- Subseries 1: Forman, James (1961-1976)
フォーマンを捜査対象としたFBIの報告書。手書きで書かれた報告書の摘要によれば、フォーマンの活動が米国の安全保障にとっての脅威とは見なされなくなった1978年に、一部削除された形で開示されました。 - Subseries 2: Black Manifesto (circa 1969)
1969年、フォーマンは全米黒人経済開発会議(National Black Economic Development Conference, BEDC)と連携し、奴隷貿易へ補償として米国内のキリスト教とユダヤ教の団体に5億ドルの賠償金を要求する「黒人宣言」を公開しました。この公開を契機としてFBIが行なったフォーマンやBEDCに対する捜査資料を収録します。
◆Series II: COINTELPRO: FBI Reports, 1967 - 1968◆
「黒人民族主義者-ヘイトグループ/国内安全保障」に対するFBIの捜査関係資料で、外国人のスパイ活動を防止するためにFBIにより構築された「対敵諜報プログラム」(コインテルプロ、COINTELPRO)に基づいて行われた捜査からは、ブラックパワー運動の信用失墜を試みるFBIの試みが明らかにされあす。この資料は、公民権運動の歴史家クレイボーン・カーソン(Clayborne Carson)が持っていた報告書コピーをフォーマンが入手したものです。
◆Series III: Miscellaneous: FBI Reports & Papers, 1947 - 1988◆
さらに詳しく
関連分野
- アメリカ史
- 伝記・人物情報
- アフリカ系アメリカ人研究
- 公民権