George H. W. Bush and Foreign Affairs: Fall of the Berlin Wall and the Reunification of Germany
1989年11月9日、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊しました。11月28日には、西ドイツのコール首相が10項目プログラムを発表し、ドイツの再統一がにわかに政治日程にのぼりました。東ドイツでは12月に同国を訪問したコール首相を市民は熱狂的に歓迎、3月には初めて実施された自由選挙で、ドイツ統一を支持する諸政党が勝利を収め、東ドイツでは統一に向けた機運が大きな盛り上がりを見せます。東西ドイツ両国に第二次大戦戦勝国のアメリカ、イギリス、フランス、ソ連を加え、5月にボンで開催された六ヵ国外相会談でドイツ再統一の基本合意がなされ、外交レベルでドイツ再統一は既定路線になりました。その後、7月には東ドイツがドイツ・マルクを導入する形で東西ドイツの通貨統一が実現、9月にはドイツ統一最終規定条約がモスクワで調印され、10月に東ドイツが西ドイツに編入される形で東西ドイツの再統一が実現しました。ベルリンの壁崩壊から再統一までわずか11ヵ月、当事者の予想をも上回るほどの急展開でした。
しかし、スムーズに展開したかに見えた再統一のプロセスも、仔細に検討すると、様々な障壁が横たわっていました。ヨーロッパの中心部にドイツという強大な国家が誕生することに警戒したイギリスとフランスは当初、再統一に反対の立場を取っていました。NATOの東方拡大を警戒するソ連も再統一に慎重な姿勢を示していました。再統一を支持する立場を取っていたアメリカでも、ドイツ統一がゴルバチョフを失脚させる恐れがあるとするスコウクロフト大統領補佐官が早期統一に懐疑的な立場を取るなど、ブッシュ政権内部で統一支持の一枚岩だったわけではありません。第二次大戦終結以後、米英仏ソの戦勝国がドイツ国内に有していた法的権利の扱いをどうするかという問題も解決を迫られていました。ドイツ再統一問題はドイツの国内問題であると同時に、国際問題でもあり、外交当事国の意見対立を外交交渉で克服することにより、再統一は実現しました。
一般的に、アメリカの政策形成においては、行政府の省庁とともに、大統領補佐官を筆頭とする大統領に直属する大統領行政府(ホワイトハウス)の組織が大きな役割を果たしています。特に、20世紀末以降は、ホワイトハウスのスタッフの影響力が一層強くなっていると言われています。そのため、外交政策を分析するためには、国務省の文書だけでなく、国家安全保障会議をはじめとする大統領行政府の文書にも目配りをする必要があります。
本コレクションは、ブッシュ大統領とコール首相が交わした書簡と電話会談の記録(1989年3月から1990年7月まで)、東西ドイツと米英仏ソの二プラス四方式の六ヵ国会談に関する記録の他、ホワイトハウスの組織、具体的には、国家安全保障会議(National Security Council)、報道局(Press Office)、公務局(Office of Public Affairs)、公共連絡局(Public Liaison Office)送付された文書、これらの組織から発出された文書を収録し、ベルリンの壁崩壊からドイツ再統一にいたるブッシュ政権の外交政策の形成過程を明らかにするものです。これらの組織の中でも、国家安全保障会議関連の文書のウェートは非常に大きく、政策形成の中枢に位置していました。本コレクションは、各国首脳との会談や関係機関からの情報を材料にしてブッシュ政権が政策を形成していった過程を詳らかにするものです。
なお、本コレクションに収録される文書は、情報公開制度に基づく開示請求により公開された文書です。
(マイクロ版タイトル:George H. W. Bush and Foreign Affairs: Part 3: Fall of the Berlin Wall and the Reunification of Germany)
さらに詳しく
関連分野
- 東欧・ロシア研究
- 西ヨーロッパ研究
- 政治学・外交研究
- 20世紀研究