Nineteenth Century Collections Online: British Theatre, Music, and Literature
19世紀史料集成(NCCO)第3部:英国の演劇・音楽・文学では、18世紀後半から19世紀にかけての演劇関係資料から、音楽が興行化し、多くの演奏会が開かれ、作曲家を引き付けた音楽都市ロンドンの音楽風景を伝える各種演奏会プログラムや作曲家の書簡、さらには大衆文学、児童文学の源流の一つ、ペニー・ドレッドフル(三文怪奇小説)や庶民のための新聞ブロードサイド・バラッドまで、19世紀イギリス文化史をカバーします。
《収録コレクション》
◆演劇資料
- Drury Lane under Sheridan, 1776-1812: Manuscript Plays and Correspondence(シェリダン時代のドルリー・レーン劇場:劇作品手稿と書簡)
リチャード・ブリンズリー・シェリダンが支配人を務めた期間に、ドルリー・レーン劇場に提出された130篇の劇作品と4篇の書簡を収録
- Lord Chamberlain’s Plays(宮内長官戯曲集)
1737年の演劇検閲法の施行後、戯曲は検閲に付されます。上演を目的とした戯曲は宮内長官(Lord Chamberlain)に提出されました。1824年から検閲が最終的に廃止される1968年までのものは、大英図書館の近代文芸手稿コレクションの一部として保存されています(1743年から1824年までのものは、ハンティントン図書館に所蔵されています)。本コレクションは大英図書館に所蔵されている戯曲の中から、1824年から1899年までに提出された作品を収録します。18世紀末から19世紀前半にかけての劇場では演技の微妙な陰影よりも視覚効果を狙った演出が流行ります。また、増大する都市労働者向けの娯楽として、勅許劇場以外のマイナー劇場では、メロドラマ性、奇抜さ、視覚的効果を狙った大衆受けする演劇が大流行します。1843年の劇場規制法により、正統劇が勅許劇場以外での上演が可能になったものの、それ以後生じたのは、正統劇の流行というよりは、それまでマイナー劇場で流行していた大衆演劇的要素の勅許劇場を巻き込んでの流行でした。ヴィクトリア朝演劇界ではミドルクラスや大衆向けの作品として、メロドラマが流行しました。異国趣味に訴えるもの、航海劇、酒に溺れた親に育てられる子どもの困窮を描くもの、冤罪に陥った主人公が名誉を回復する筋立てのドラマ、愛国心に訴える軍事劇、観客の身近な話題をモチーフとする家庭ドラマなど、様々なタイプのメロドラマが上演されました。これらのドラマは、ある意味で20世紀の映画やテレビドラマの先駆とみなすこともできます。
- Drury Lane Theatre Archive(ドルリー・レーン劇場資料集成)
1879年ドルリー・レーン劇場の支配人となったオーガスタス・ハリス(Augustus Harris)は、大衆が求めるエンターテインメントを提供するプロデューサーとして類まれな才能を持っていました。ハリスが支配人になったのと同じ頃、作曲家のオスカー・バレット(Oscar Barrett)もドルリー・レーン劇場に関わり始めました。バレットは、自身のものだけでなく他の作曲家のものも含め、音楽劇用の楽曲をドルリー・レーン劇場に蒐集します。これが、現在大英図書館が所蔵するドルリー・レーン音楽資料アーカイブの基礎をなしました。収録されている楽譜は、バレットの広い活動範囲を反映するように、ドルリー・レーンで演じられた演目用楽曲だけでなく、それ以外のロンドンの劇場(ライシアム、クリスタル・パレス、ロイヤル・グレシアン、ガイエティ、ブリタニア、ボロー、ストラトフォードなど)、さらには地方劇場で上演された演目用楽曲も含みます。ヴィクトリア朝イギリスでは、パントマイム、バレエ、バーレスク、オペレッタなど、音楽を伴う大衆演劇が大流行します。20世紀のミュージカルの源流にも位置づけられる後期ヴィクトリア朝音楽劇で使われた楽曲の全貌が本コレクションによって明らかにされます。また、楽譜が収録されているだけでなく、楽曲が提供された演目名、上演時期、劇場名、作曲者名、音楽パートの概要などをまとめた解題(アノテーション)が研究資料として有益です。
- British Playbills, 1754-1882(演劇プログラム集 1754-1882)
1754年から1882年までに上演された演劇プログラム約22,000点。ほとんどがドルリー・レーン、コヴェント・ガーデン、ヘイマーケットの勅許劇場で上演された演目。イギリスの伝統ある三大劇場の上演史を研究する上で格好の資料です。
- Drury Lane Receipts(ドルリー・レーン劇場収入報告書集成)
ドルリー・レーン、コヴェント・ガーデン、ヘイマーケット劇場の会計収支報告書
◆音楽資料
- Crystal Palace Handel Triennial(クリスタル・パレス ヘンデル・トリエンナーレプログラム集成)
19世紀のロンドンでは多くのコンサートが開催され、しばしば大陸の有名作曲家の初演もこの地で演奏されました。様々なコンサートの中でも、3年に1回、クリスタル・パレスで開催されたヘンデル・フェスティヴァル(ヘンデル・トリエンナーレ)は19世紀ロンドンの音楽シーンを語る上で欠かすことができません。3日間の会期中、中日は毎年演奏される曲が変わったものの、初日に『メサイア』を、最終日に『エジプトのイスラエル人』を演奏する慣行は変わりませんでした。毎年刊行されたプログラムには、合唱曲の歌詞、オーケストラの奏者名、合唱者名、名誉幹事名、運営会社役員名など、様々なトリエンナーレ関係者の名前が掲載されているほか、女性読者を対象にした様々な商品広告(コルセット、家具、装身具、ピアノなどの楽器)が掲載されていることも見逃せません。さらに、ソリストや演奏に対する観客の反応まで書き込みされている点も注目に値します。1874年、1877年、1880年、1883年、1888年、1894年、1897年、1900年の8回のプログラムを収録します。
- Crystal Palace Saturday Concerts(クリスタル・パレス土曜コンサート資料)
ヘンデル・トリエンナーレと並ぶ19世紀ロンドンの名物コンサート、クリスタル・パレス土曜コンサートは、交響曲や管弦楽曲を多くの聴衆の前で演奏することにより、これらの作品の普及に多くの貢献をしました。本コレクションは土曜コンサートのプログラムを収録しています。このプログラムが音楽史においてとりわけ資料的価値を有するのは、ジョージ・グローブ(George Grove)が楽曲の解説を書いているためです。グローブやドイツ出身の指揮者、アウグスト・マンス(August Manns)による楽曲解説が掲載されたコンサートプログラムは、音楽の教養を求めるヴィクトリア朝のミドルクラスの人々にとって、格好の教科書でした。さらに、出版史にとって重要なことは、この解説記事が、グローブによって編集され19世紀後半に刊行された音楽辞典(Dictionary of Music and Musicians)の基礎をなしたことです。プログラムには演奏会関連記事のほか、クリスタル・パレスで開催された各種展覧会や講演会の情報も掲載され、ヴィクトリア朝の文化活動の一端を窺い知る興味深い資料です。
- King's Theatre Haymarket Archive(ヘイマーケット劇場資料集成)
ロンドンにおけるイタリア・オペラのメッカ、ヘイマーケット劇場で演奏されたオペラの楽譜(声楽譜とオーケストラパート譜)を収録。楽譜の大半は、実際に演奏されたものを使っているため、名前、日付、テンポ、舞台への指示などが記入されているのみならず、劇場関係者のカリカチュアが描かれているものもあります。オーケストラパート譜には奏者の名前が記入されています。19世紀ロンドンのオペラ上演史の貴重な研究資料です。
- Royal Philharmonic Society Archive/Royal Philharmonic Society Music Manuscripts(ロイヤル・フィルハーモニー協会資料集成)
フィルハーモニー協会は、オーケストラによる演奏会の開催によるクラシック音楽の普及を目的として1813年に設立されました(100年目の1912年に現在の名称に変更されます)。イギリスでは、17世紀以来、演奏会は盛んに開催されていたものの、フィルハーモニー協会がそれ以前の演奏会と異なっていたのは、同時代の作曲家の作品を積極的に取り入れていたことです。作曲の委嘱などを通じて同時代の作曲家との交流の機会が増えた協会には、作曲家、演奏家、批評家など同時代の音楽関係者との往復書簡を初めとする資料が多数集まりました。とりわけ、第九交響曲をめぐるベートーヴェンとの交流は有名です。楽譜、書簡、議事録などから構成されたフィルハーモニー協会のアーカイブは、19世紀から20世紀後半にいたるクラシック音楽の知られざる一面に光を当てる貴重な資料群です。
- J.W. Davison Papers(ジェイムズ・ウィリアム・デヴィッドソン資料集成)
19世紀イギリスを代表する音楽批評家、ジェイムズ・ウィリアム・デヴィッドソンは、1843年以降亡くなる1885年まで『ミュージカル・ワールド』の編集長を務め、1845年から1878年までタイムズ紙の音楽批評欄に定期的に寄稿、その他、『ペル・メル・ガゼット』『サタデイ・レビュー』などでも健筆を揮いました。本コレクションは、デヴィッドソンが作曲家、演奏家、批評家、ジャーナリスト、音楽出版関係者、コンサート運営関係者、家族などと交わした往復書簡を収録します。大半は、デヴィッドソンが受け取った書簡ですが、デヴィッドソンが書いた書簡も含まれています。書簡の他、新聞記事の切抜、写真も収められています。書簡を交わした著名人物には、作曲家のジャコモ・マイアーベーア(Giacomo Meyerbeer)、セザール・フランク(César Franck)、音楽出版者のジョン・ブーシー(John Boosey)、指揮者のチャールズ・ハレ(Charles Hallé)、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim)、批評家のジョージ・グローブ(George Grove)らがいます。
- Queen's Hall Programmes(クィーンズ・ホールコンサートプログラム集成)
優れた音響効果によりロンドン有数のコンサート会場に数えられたクィーンズ・ホール(1893年創立)の名物プログラム、プロムナード・コンサートは、低価格で広く大衆に音楽を広めるために1895年に始まりました。聴衆は飲食したり、散歩したり、寛いだ雰囲気の中で音楽を楽しむことができました。1941年火災のためホールが焼失すると、プロムナード・コンサートはロイヤル・アルバート・ホールに引き継がれ、今日に至っています。本コレクションはクィーンズ・ホールで開催されたコンサートプログラムを収録しますが、大半は1897年から1914年までの18シーズンのプログラムで構成されています。ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー、チャイコフスキーなど、19世紀の音楽がプログラムの中核をなしていましたが、20世紀初頭の同時代の音楽やイギリスの音楽も盛んに取り上げられていました。収録プログラムには、楽曲や社会的・歴史的背景に関する詳細な解説が収められている他、演奏を聴いた聴衆によるコメントも書き込まれています。20世紀初頭のロンドン市民の音楽体験を歴史的に再現してくれる貴重な資料です。
- Royal Albert Hall(ロイヤル・アルバート・ホールコンサートプログラム集成)
ロイヤル・アルバート・ホールで開催された19世紀末のコンサートの中から、ハリソン氏モーニング/イヴニングコンサート(5回)、オラトリオ・コンサート(2回)、スコットランド・フェスティヴァル(4回)、アイリッシュ・フェスティヴァル(3回)のプログラムを収録します。
- St James Hall Monday/Saturday Popular Concerts(セント・ジェイムズ・ホール月曜・土曜ポピュラー・コンサートプログラム集成)
ヘンデル・トリエンナーレ、クリスタル・パレス土曜コンサートと並ぶ、19世紀ロンドンの名物コンサート、セント・ジェイムズ・ホール月曜・土曜ポピュラー・コンサートのプログラムを収録します。
- Sir George Smart Papers/Sir George Smart Programmes/Oratorio Concert Programmes(ジョージ・スマート資料・コンサートプログラム集成)
19世紀イギリスを代表する指揮者、作曲家で、フィルハーモニー協会の創立メンバー、またベートーヴェンの普及に貢献したジョージ・スマートの資料、具体的にはスマートが指揮したコンサートプログラム(オラトリオ・コンサート、地方コンサートなど)、往復書簡、日記などを収録します。コンサートプログラムには、スマート自身の注釈が詳細に書き込まれています。書簡は、スマートの広い交友範囲を反映し、同時代の多くの作曲家、演奏家、歌手、批評家とのあいだで交わされたものを収録しています。ヨーロッパ大陸を訪問した際の日記には、1825年バーデンでベートーヴェンと面会し、インタビューを行ない、交響曲のテンポについて助言を得たことが記述されています。
- Wandering Minstrels Archive(放浪楽団資料集成)
ヴィクトリア朝の放浪楽団”Wandering Minstrels”は、貴族や軍人のアマチュア楽団で、1860年代から40年間に亘り、主に慈善の目的でイギリス各地を訪問し、演奏活動を行ないました。本コレクションは、楽団の運営記録、写真、コンサートプログラムなどを収録します。
- Konzert Programm Austausch(ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社のコンサートプログラム情報 1900-1914年)
ドイツの老舗楽譜出版社、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社(Breitkopf & Härtel)は1893年、『コンサートプログラム情報(Konzert-Programm-Austausch)』の刊行を始めました。本情報誌は、世界各地のコンサート情報を提供することを目的とした機関向け定期刊行物で、毎年36分冊が発行され、毎回50から100件のプログラム情報が掲載されました。大都市だけでなく、中小都市のコンサート情報を収録する本情報誌は、20世紀前半の音楽地図に他なりません。音楽関係者は、本誌を通して各地の音楽トレンド、指揮者、ソロ歌手、ソロ演奏家の動向を知ることができました。現代において録音や放送が果たしている役割を果たしたメディアであると言えます。本アーカイブは、1900年から1914年までに発行されたものを収録します。
◆文学資料
- Popular Literature in 18th and 19th Century Britain, Parts Three-Ten: The Barry Ono Collection of Bloods and Penny Dreadfuls(大英図書館のバリー・オノ「ペニー・ドレッドフル」コレクション)
ペニー・ドレッドフル(三文怪奇小説)とは、盗賊、海賊、犯罪者、吸血鬼などを登場人物とする扇情的な物語で、19世紀イギリスで大衆向けの安価な読み物として流行しました。技術革新による製造コストの低廉化、印紙税の廃止、都市化と識字率の向上による読書する大衆の登場といった供給、需要サイドの変化が可能にした新しい読み物でした。1830年代に「ブラッズ(Bloods)」と呼ばれていた頃は、印刷も劣悪で、挿絵として掲載された木版画も再利用された粗野なものでしたが、その後多色刷りになり、仕上がりのクオリティの完成度も向上しました。当初は児童から大人まで広範な読者層を対象にしていたものの、1860年代までに児童をターゲットに絞るようになり、世紀末にはアメリカのダイムノベルの仕様を取り入れるようになりました。出版社は確定することが難しく、作品は匿名やペンネームで書かれ、発行日や版も明確ではなく、作品間の模倣も多く、挿絵には署名や日付もなく、再利用されたことが多いペニー・ドレッドフルは、出版の歴史が極めて錯綜しているため、書誌は混沌としています。元々安価な紙に印刷され、製本が劣悪なため、損傷を受けやすかったことに加え、その価値が認められるのに時間がかかったため、保存されているペニー・ドレッドフルは極めて稀少です。大英図書館が所蔵するバリー・オノのコレクションは、その意味で貴重なものです。603点の書籍と雑誌や新聞に掲載された3,152件の記事を収録します。未開拓の部分が多いペニー・ドレッドフルの研究に新しい光を当てる資料です。バリー・オノ、本名フレデリック・ヴァレンティン・ハリソン(Frederick Valentine Harrison、1876–1941)は、ミュージックホールの俳優で、少年のころ愛読したペニー・ドレッドフルを蒐集し、蒐集コレクションはその死以後、大英図書館に寄贈されました。
- Popular Literature in 18th and 19th Century Britain, Part Two: The Sabine Baring-Gould and Thomas Crampton Collections(大英図書館のサバイン・ベアリング= グールド、トマス・クランプトン「ブロードサイド・バラッド」コレクション)
ブロードサイドとは、片面刷りの大版の紙に世の中の出来事を伝えた古いメディアで、新聞の先祖とも言われています。そのテキストが節回しをもって唄われる場合、ブロードサイド・バラッドと呼ばれます。ブロードサイド・バラッドは、文字を読めない大衆のためのメディアとして長い伝統を持ち、その起源は近代以前に遡ります。ところが、産業化と都市化の道を突き進んでいた19世紀イギリスに、俄かにブロードサイド・バラッドが復活します。犯罪、裁判、貧困、政治、スキャンダルなど幅広いトピックを取り上げましたが、特に、死刑執行を間近に控えた死刑囚が行なった最後の告白という触れ込みで、公開処刑場で売られていたものが特に有名です。このメディアには多くの出版社が関わりましたが、中でもロンドンのスラム地帯、セブンダイアルズ界隈を拠点としたジェイムズ・キャトナック(James Catnach)とジョン・ピッツ(John Pitts)は、ブロードサイド・バラッドの歴史の中で忘れることができません。ブロードサイド・バラッドの書誌情報を整備し、きちんと研究することは、印刷者名や著者名が分からない場合が多いため、困難を極めます。どのような聴衆が聴いたのか、どんな出来事がテキストの形成を促したのかなど、ブロードサイド・バラッドには未解決のテーマが多数残っています。本コレクションは、今後のブロードサイド・バラッド研究の出発点になるでしょう。
- Archives of the Royal Literary Fund(王立文芸基金資料集)
文芸基金(Literary Fund)は、困窮状態にある才能ある作家を経済的に支援することを目的として1790年に設立されました(1845年、英国王室から勅許状を得て、”royal”を冠するようになります)。基金から支援を受けた作家には、サミュエル・テーラー・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge)、 ジェームズ・ホッグ(James Hogg)、ジョン・クレア(John Clare)、ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)、ブラム・ストーカー(Bram Stoker)、D.H. ロレンス(D.H. Lawrence)、ジェームズ・ジョイス(James Joyce)ら著名な作家から無名作家まで、多数に上ります。基金の委員を務めた作家には、チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)、サッカレー(William Makepeace Thackeray)、アンソニー・トロロープ(Anthony Trollope)らが名を連ねました。本アーカイブは、1790年から1918年までのあいだに基金に経済的支援を申請した作家の申請状約3,000件を収録します。申請状(作家自身の申請状のほか、他の作家が署名した申請状)ほか、他の作家の推薦状、決定に関わった基金の役員の書簡、作家の受領書などが収録されています。経済的困窮、病気、災難に直面している作家が自身の状況を率直に伝える申請状、他の作家の推薦状は、作家の生涯に新しい光を当てる文学史の第一級のドキュメントです。