Nineteenth Century Collections Online: Photography
19世紀史料集成(NCCO)第6部:写真と写真術は、生まれて間もない写真術が記録した、あらゆる事象・人物・地域・風俗・風景と、記録する行為そのものから、19世紀のメディア革命とその影響を探るアーカイブです。
収録写真は、写真発明の直後の1840年代から20世紀初頭までの初期写真史の歩みを跡付けるだけでなく、被写体が驚くほどの多様性を示しています。
カバーされている地域を見ても、イギリス国内だけでなく、ヨーロッパ各地からアフリカ、中東、インド、東南アジア、中国、日本、オーストラリア、カナダ、アメリカ、カリブ海地域まで、ほぼ世界の主要地域をカバーします。イギリスが参戦した各地の戦争の実態を記録した写真もあれば、平和な日常生活を写し取った写真もあります。肖像写真も政治家、芸術家、作家、科学者などの著名人のものから市井の無名の人々のものまで、多数収録されています。
世界中に散在する写真資料の中から、特に学術的に重要な写真集、写真アルバム、写真を挿画とする書籍、初期写真史に関するテキストを選んでいます。
《収録コレクション》
- History of Photography(写真の歴史)
2,200タイトルの書籍と80タイトルの定期刊行物を収録する写真史の分野では屈指のコレクションです。写真に関する最初期の著作としては、サー・ジョン・ハーシェル、サー・デイヴィッド・ブリュースター、シャルル・ルイ・シュバリエらによる著作、フランソワ・アラゴ(François Arago)の声明(Announcement)とダゲレオタイプ論とそのドイツ語訳、ルイ・ダゲールの『ダゲレオタイプとジオラマの歴史と操作法』とその英訳、タルボットのフォトジェニック・ドローイング論、ノエル=マリー=ペマル・ルルブール(N.M.P. Lerebours)の ”Excursions daguerriennes, 1840–1843”、 アルマン・イッポリート・ルイ・フィゾー(A.H.L. Fizeau)の臭化物論、そのほか、初期の実験に関する多数の論考が収められています。写真の発明から短期間で多くの実験が行われ、技法が進化したことは、すでに1849年という早い時期にヘンリー・スネリング(Henry H. Snelling)が、写真の歴史に関する書籍を刊行したことにも表れています。1850年代、化学者と写真家は写真の科学と技術の更なる発展をめざしましたが、そのプロセスを証言する出版物も収録されています。1851年の万国博覧会では世界初の国際写真展覧会が開かれ、6ヶ国から出展された770枚の写真が展示されました。写真展覧会の模様は博覧会の公式目録にも記録されているほか、博覧会自体も写真に撮影され、審査委員報告書の中に掲載されました。この時代には、ミレー(Jean-François Millet)、エドゥアール・バルデュス(Édouard Baldus)、ギュスターヴ・ル・グレイ(Gustave le Gray)、フィリップ・ヘンリー・デラモッテ(Philip Henry Delamotte)、ポール・ドラローシュ(Paul Delaroche)ら画家が写真にも手を染めました。また、建築家ルイ=オーギュスト・ビソン(Louis Auguste Bisson)は、兄弟とともにアルプス地域を含むヨーロッパ各地を訪問し、多くの写真に収めました。その他、写真家兼作家のマクシム・デュ・カン、火山の頂上から撮影した星の写真を収録する ”Teneriffe, an Astronomer's Experiment” で知られる天文学者チャールズ・ピアッツィ・スミス(Charles Piazzi Smyth)など、様々な分野の人々が新しい技術に魅せられ、みずから撮影しました。本コレクションは、世界各地の自然、景観、建築を撮影した写真を多数収録しますが、これらの写真を撮影した写真家としては、フラテッリ・アリナーリ(Fratelli Alinari)、フランシス・ベッドフォード(Francis Bedford)、オーギュスト・べロック(Auguste Belloc)、マシュー・ブレイディー(Mathew Brady)、アドルフ・ブラウン(Adolphe Braun)、ルドルフ・アイクマイヤー(Rudolf Eickmeyer)、ピーター・ヘンリー・エマーソン(Peter Henry Emerson)、フランシス・フリス(Francis Frith)、エドワード・マイブリッジ(Eadweard Muybridge)、ジェイコブ・リース(Jacob August Riis)らがいます。また、ニューヨークカメラクラブ、バッファロー美術協会など地域の写真関係の協会のカタログ、イーストマン・コダック社など企業の商業カタログも収録します。
- British Admiralty Office Photographs(イギリス海軍本部所蔵写真コレクション)
本コレクションは、イギリスが海外に伸長した19世紀後半、イギリス及び海外の海軍の戦略的拠点(マルタ島、ジブラルタル、ポーツマス海軍工廠、喜望峰)における海軍の活動状況を撮影した写真コレクションで、海軍本部建築・工学部門に所蔵されているものです。
- British Colonial Office: Photographic Collection(イギリス植民地省写真コレクション)
植民地大臣が1869年「植民地の有名な建築物や景観や人物」の写真を撮影することを総督に要請して蒐集された写真コレクションに起源を持つコレクションです。以来1世紀にわたり、世界各地のイギリス植民地の著名な建築物や風景、人物の写真が撮影され、写真は植民地省に送られました。コレクションには写真のほか、描画も含みます。植民地省は1966年、コモンウェルス関係省と統合しコモンウェルス省が成立、1968年には外務省と統合し、外務・コモンウェルス省になります。蒐集の対象はコモンウェルスや諸外国の写真にも拡大しましたが、コレクションの核心が植民地の写真であることに変わりはありません。アフリカ、カナダ、カリブ海地域、中国、東南アジア、インド、オーストラリア、オセアニアなど、イギリス植民地を知る貴重な写真資料です。
- British Journal of Photography and Annual, 1854-1914(イギリス写真誌、イギリス写真誌アルマナック 1860-1900)
イギリス写真誌 (British Journal of Photography)はマンチェスター・リヴァプール写真協会の公式機関誌、Liverpool Photographic Journalとして1854年に創刊されました。当初、18ページの隔週刊誌だった雑誌は1864年、オフィスがロンドンに移転した後は12ページの週刊誌になり、1901年には20ページへ拡大します。各号は撮影技法、写真の焼増し、カメラの技術的進化、芸術としての写真、著作権、アマチュア写真家のための指南、各種写真協会の会合の案内、国内外の通信などの記事を含みます。本誌はイギリス国外にも大きな影響力を及ぼしましたが、その影響力は、本誌掲載の記事を精選しダイジェスト版として季刊で発行した海外・植民地版(Colonial and Overseas edition)に因るところも大きかったと言われています。補遺(サプルメント)として年報(Annual)、アルマナック(Almanac)も刊行されました。最初の補遺は折りたたみ式のカレンダーとして、1859年の最終号の付属として出ました。その後、形式と構成は、カレンダー、協会の会合日、写真などに関する短報から構成された小型のポケットブックに変わり、 “Photographer's Daily Companion” と副題が付きました。1866年以降、年報は別売になり、写真年鑑へと進化します。
- Early Rare Photographic Books from the Northwestern Museum of Science and Industry Collection(科学産業博物館所蔵初期稀少写真アルバム集成)
マンチェスター、グロブナー通りに1969年に開館したノースウェスタン科学産業博物館の所蔵品の多くは、マンチェスター技術者学校の流れをくむマンチェスター大学科学技術研究所のコレクションに基礎を置いています。初期の写真アルバムで構成される本コレクションは、もともと科学技術を学ぶ学生のために集められたものです。
- Early Rare Photographs from the Victoria and Albert Museum, London(ヴィクトリア・アルバート博物館所蔵初期稀少写真集成)
ヴィクトリア・アルバート博物館所蔵の写真コレクションは、世界屈指の写真コレクションです。博物館の初代館長ヘンリー・コールはマクシム・デュ・カンの『エジプト、ヌビア、パレスチナ、シリア』を含む美術品と建築を被写体とする写真コレクションの獲得、博物館コレクション用の写真の注文、同時代の重要な写真家からの肖像画の調達、寄贈や購入による写真の受入を通じて、精力的にコレクションの拡充に努めました。写真のほか、撮影者の名前、タイトル、撮影日、主題、寄贈者、取引業者、購入価格など、コレクションの概要を伝える情報も含みます。博物館は写真部門の責任者として、写真家チャールズ・サーストン・トンプソンを1856年に採用、トンプソンは博物館の収蔵品の写真撮影に従事しました。コールは初期写真と撮影技法に関するコレクション拡充に責任を負いました。1858年博物館は、ロンドン写真協会、フランス写真協会との共同事業として、最初の写真展を開催しました。
- The Hill and Adamson Albums: photographs by David Octavius Hill and Robert Adamson, 1843-1848(ヒル&アダムソンの写真アルバム)
デイヴィッド・オクタヴィウス・ヒル(David Octavius Hill)とロバート・アダムソン(Robert Adamson)の協働作業は写真史の中でも最も重要なものの一つです。写真の技法が公表された1839年の4年後、アダムソンはエジンバラにスタジオを開設しました。アダムソンが写真技術に精通するようになるのを助けた兄のジョン・アダムズはデヴィッド・ブリュースターの親友で、ブリュースターはウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットの親友でした。したがって、アダムソンがダゲレオタイプではなく、紙に焼き付けるカロタイプと呼ばれるタルボットの写真技法を採用したのは、自然なことでした。アダムソンとヒルの協働作業は1843年に始まります。アダムソンがエジンバラにスタジオを開設した頃、ヒルはスコットランド自由教会を立ち上げた人々を記念する絵画の制作に着手していました。人物を写実的に描くためにヒルに写真の使用を勧め、アダムソンを紹介したのは、ブリュースターだったと言われています。本コレクションは1848年のアダムソンの死に際して、1,500枚のネガからヒルが257枚を選定し3巻のアルバムにしたものです。アルバムは、作家、政治家、科学者、学者、芸術家の肖像写真、家族の集合写真、自由教会の指導者トーマス・チャーマーズの肖像写真、「最初の総会」と題した教会関係者の集合写真など、自由教会に関わる写真を多数収録します。エジンバラ市街の景観、人々の日常生活、ニューヘヴンの漁民と女性などが写されています。
- Nineteenth-Century Photographs from the Royal Archives, Windsor(ロイヤルアーカイブ所蔵19世紀写真集成)
1845年から1901年のあいだに撮影された7,000枚強の写真を収録します。収録コレクションは、ヴィクトリア女王とその家族、とりわけアルバート公が写真に示した関心の高さを反映した規模の大きなものです。1861年にアルバート公が逝去する時までに、すでに数千枚の写真が蒐集されていたと言われています。1853年、ヴィクトリア女王とアルバート公は写真協会の後援者となったことで、写真という新しい技術は王室という後ろ盾を得ることになります。女王とアルバート公は1840年代から家族の写真の撮影を写真家に委託します。女王夫妻は思い出を記録する手段としてのみならず、王室を広く民衆に知らせる手段としての写真の効用を理解していたため、催事の記録から肖像画まで、多数の写真撮影を写真家に委嘱しました。皇太子夫妻も写真愛好家でした。皇太子は多数のコレクションを持ち、皇太子妃アレクサンドラはなかなかの腕前を持っていました。皇太子夫妻にコダックのカメラを寄贈したことのあるジョージ・イーストマンは、皇太子妃がそのカメラで写真を撮影していることを知り、その写真をコダックの写真展覧会にて展示するよう取り計らいました。コレクションの初期の写真は、ダゲレオタイプとカロタイプのもので、中には1845年に刊行されたタルボットの有名な『スコットランドの日光写真(Sun Pictures in Scotland)』も含まれます。
本コレクションの最大の構成部分は肖像写真で、イギリスや外国の王室や貴族、政治家、軍人、聖職者、芸術家、科学者など多数の肖像写真のアルバムを収録します。その他には、女王在位50周年と在位60周年の行事や王室の歴訪を撮影したもの、1850年代のエジプトを撮影したフランシス・フリス(Francis Frith)のアルバム、1879年から1882年にかけてのバッカント号の航海を記録し、地中海、西インド諸島、バミューダ諸島、南アメリカ、ケープタウン、オーストラリア、フィジー、日本、中国、シンガポール、セイロン、エジプト、シリアの写真を収めたアルバムなど、イギリスと世界各地の地形と建築を写した写真、1875年から1876年にかけての皇太子のインド訪問時の6巻のアルバムと380枚の写真も収録されています。陸軍や海軍を主題とする写真もあります。クリミア戦争の前線を撮影したロジャー・フェントン(Roger Fenton)とジェームズ・ロバートソン(James Robertson)の写真は、野営地、戦場、埠頭、病院の生々しい情景を写し、セヴァストーポリ、マラコフ砲台、レダン砲台を写した写真は、戦争がもたらした惨状を伝えています。軍隊の生活を写した写真には、カイバル峠周辺地域の光景とともに、将校と兵士の肖像写真も含まれています。1879年の南アフリカの軍事作戦を写した写真には、トランスヴァール、ケープタウン、ダーバン、キンバリー、プレトリアなどの光景のほか、ダイヤモンド鉱山、金鉱山も映し出されています。
- The Photographic News, 1859-1908
Photographic News 誌はどの機関とも関わりを持たない独立の定期刊行物で、職業写真家と写真愛好家を読者としていました。1858年に創刊、”Amateur Photographer” 誌に吸収された1908年まで続きました。写真の技術、技術進歩、各種助言のほか、写真に関する展覧会、書籍、団体の活動を告知する媒体としても機能していました。
- Photographs from the National Media Museum(国立メディア博物館所蔵写真コレクション)
本コレクションはデイリー・ヘラルド・アーカイブ、王立写真協会コレクション、コダック博物館コレクションという三つの写真関係コレクションを母体として形成されたものです。現代の著名写真家による写真、写真技法の進化を伝える写真群など、初期から現代にいたる写真史の形成過程を克明に記録しています。
- Photographs from the India Collection at the British Library(英国図書館インドコレクション所蔵写真集 1850-1914)
- Photographs from the Royal Photographic Society Collection(王立写真協会コレクション写真集)
主として王立写真協会会員の写真で構成される本コレクションは、写真の歴史を記録するものであると当時に、協会の歴史を記録するものでもあります。協会の会員の多くが19世紀を代表する写真家であったことを考えると、本コレクションはその重要性において世界屈指のコレクションと見なされています。会員の写真コレクションを作るという構想は最初、アントワーヌ・クローデット(Antoine Claudet)が抱き、またアルバート公も1854年に同じ構想を提案したと言われています。当初は会員の寄贈に基づいていたコレクションは拡大し、1923年までには約100点の額装写真(年次展覧会の受賞者のもの)、ヒルとアダムズのカロタイプのアルバム、クリミア戦争を撮影したクリミア戦争の写真、ニコラス・ヘネマンとトーマス・マローンのタルボタイプの写真、ウィリアム・タルボットのソルトプリントによるアルバムなどが加わりました。コレクションの最初の展覧会は1903年、協会創立100周年記念行事の一環として開催されました。本コレクション形成に最も貢献したのが、ジョン・ダドリー・ジョンストン(John Dudley Johnston)。協会の会長を2回務めたほか、31年に亘りコレクションの学芸員を務めた人物です。ジョンストンは会員やその子孫を訪ね、主要な写真やネガを複製する許諾を得、1955年までにコレクション収蔵点数を3,000点以上に増やすことに成功しました。
- Photographs from the Science Museum(科学博物館所蔵写真コレクション)
ロンドン科学博物館は、1851年の万国博覧会の後、アルバート公の奨励により創設されたサウス・ケンジントン博物館の一部を起源とする博物館です。徐々に独立機関としての性格を強め、1893年には独自の館長を持つに至り、1909年に完全に独立します。博物館は、科学、医学、工学、工業の諸分野における著名で影響力のある人物や企業のアーカイブ資料、具体的には個人文書、写真、ガラス板のネガ、企業の記録資料、製図などを収録します。収録資料の中にある写真コレクションは、科学者を撮影した写真、天文学、工学、医学、工業、交通など様々な科学的証拠を記録する写真などで構成されています。
- Photographs from the Talbot Collection at the British Library(英国図書館タルボットコレクション写真集)
- Photographs from the Wellcome Library for the History of Medicine(ウェルカム医学史研究所写真集)
- Portraits of Modern Japanese Historical Figures(国立国会図書館所蔵近代日本人肖像写真集成)
- The Meiji and Taisho Eras in Photographs(国立国会図書館所蔵明治大正期写真集成)
- Old Japanese Photographs in Bakumatsu-Meiji Period(長崎大学附属図書館所蔵幕末明治期日本古写真集成)
- The Bauduin Collection of Photographs(ボードイン写真コレクション)
ボードインコレクションは、オランダ人医師アントニウス・フランシスカス・ボードイン(Anthonius Franciscus Bauduin)が撮影し、弟アルベルトゥスが収集した幕末日本の写真コレクションです。ボードインは長崎大学医学部の前身、長崎養生所の第二代教頭を務めた人物です。外国商人として交易に携わっていた弟アルベルトゥスは、駐日オランダ領事に任命されました。1862年から1870年まで日本に滞在したボードインは、大阪医学校(現在の大阪大学医学部)と大学東校(現在の東京大学医学部)で教鞭を取り、また東京の上野一帯の森林に公園を造営することを提言しました。その一方でボードインは、新しい技術である写真にも関心を寄せ、長崎の景観や人々の姿を写真に収めました。さらに、専門の写真家が撮影した写真を蒐集し、製本しアルバムとして世に送り出したのもボードインです。ボードインコレクションは三つの大きなアルバムと一つの小さなアルバムで構成されています。大きなアルバムは、ボードイン兄弟、フェリーチェ・ベアト、上野彦馬、内田九一、中川信輔らの撮影した写真のほか、チャールズ・ワーグマンの描画をベアトが写真に撮影したものもあります。小さなアルバムには、明治初期の政府高官、皇族、軍人、政治家、外国人の肖像写真や名所や自然を撮影した写真が収められています。
- Records of the Copyright Office of the Stationers’Company: Photographs(書籍出版業組合著作権局記録:写真)