Mirror Historical Archive, 1903-2000
本アーカイブは、イギリスを代表する大衆紙『デイリー・ミラー』の創刊号から2000年までの記事を収録するものです。1916年1月に創刊した日曜版『サンデー・ミラー』もあわせて収録します。
弊社はイギリス初の大衆紙『デイリー・メール』のアーカイブを提供していますが、『デイリー・ミラー』はこれに続くものです。『デイリー・ミラー』と『デイリー・メール』は政治的には左派と保守派という形で競合関係にありました。両新聞は、現代イギリスにおける大衆世論の動向をフォローするのに格好の学術資料です。
《関連エッセイ》
「『デイリー・ミラー』の歴史」エイドリアン・ビンガム(日本語訳)
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※『ミラー』の他、『タイムズ』、『テレグラフ』、『デイリー・メール』、『インディペンデント』、経済紙『フィナンシャル・タイムズ』、パリ発行の英字紙『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』の計7紙それぞれの特色と違いをご紹介します。(約40分・字幕・チャプターあり、スライドはこちら)
《 デイリー・ミラー小史 》
『デイリー・ミラー』は1903年に新聞王ノースクリフ卿(アルフレッド・ハームズワース)によって創刊されました。19世紀末に大衆向けの新聞『デイリー・メール』で成功を収めたノースクリフ卿は、今度は女性読者層という市場を開拓すべくメアリ・ハワース(Mary Howarth)を編集長に抜擢し、編集委員もすべて女性で固め、女性による女性のための新聞という新機軸を打ち出しました。しかし戦略は外れ、商業的に失敗します。
ノースクリフ卿は直ちに戦略を練り直し、『デイリー・ミラー』は翌年の1904年1月、「ジャーナリズム史上最初の日刊ビジュアル紙」と銘打ち、大胆な見出しと煽情的な話題に先端技術である写真を使ったビジュアル紙として再出発します。この戦略は当たり、発行部数は増加し、第一次大戦直前には80万部まで達しました。この成功は写真を多用したビジュアル性に加え、娯楽性のある記事が多く、郊外から通勤する会社員が電車やバスの中で気軽に読める読物として受け入れられたことにも帰せられています。
1914年、『デイリー・ミラー』の経営権は弟のロザミア卿に譲渡されます。折しも第一次大戦が勃発し、戦争報道はフォトジャーナリズムの先鞭をつけた『デイリー・ミラー』にとって追い風になります。しかし戦後になると、社主のロザミア卿の下で論調がファシズムに傾いたことなどから読者離れが進み、低迷の時代が続きます。その後1930年代に転機が訪れます。
1934年に編集陣が入れ替わり、ハリー・ギイ・バーソロミュー(Harry Guy Bartholemew)が編集長に着任すると、対象読者の軸足を労働者階級に移し、大胆な見出しと平易な言語を売り物とするアメリカのタブロイド紙の手法を取り入れます。第二次大戦期から戦後にかけてイギリスでは福祉国家が建設され、労働者の生活水準が向上しますが、『デイリー・ミラー』はこの社会の変化をいち早く捉え、労働党を支持政党とする中道左派系の大衆紙として再出発します。
ウィリアム・コナー(William Connor)がカサンドラの筆名で書いたコラムは、30年代の不況下で失業に喘ぐ労働者階級の声を代弁し、政府の対独宥和政策を槍玉に上げるなど、毒舌で鳴らします。コナーの毒舌をビジュアルに表現したのが漫画家フィリップ・ゼック(Phillip Zec)で「民衆の漫画家(People’s cartoonist)」の異名を取りました。『デイリー・ミラー』は1930年代の怒れる労働者階級の声を見事に代弁したのでした。
第二次大戦中、政治指導者は国民としての一体感を演出すべく、様々な階級が連帯して戦う「民衆の戦争(People’s War)」でもあることを強調しましたが、『デイリー・ミラー』は従軍兵士の手紙を紙面に掲載することで、一体感の醸成に貢献しました。その一方で、政府や戦争指導者に対しては批判的であったため、発行停止処分にすることが政府内で検討されたこともありました。
戦後の福祉国家を基礎づけたビバレッジ報告が1942年に発表されると、イギリス各紙は歓迎しましたが、中でもこれに肩入れしたのが『デイリー・ミラー』です。『デイリー・ミラー』は「揺りかごから墓場まで」のフレーズを普及させ、ビバレッジ報告が人々の生活に与える影響を分かりやすく伝えました。第二次大戦末期の総選挙では、労働党を支持し、戦争を指導したチャーチル首相を退陣に追い込むのに大きく貢献しました。福祉国家が制度化され、社会保障制度が整備された戦後の風潮は、『デイリー・ミラー』にとって追い風となり、1940年代末から1960年代にかけて、発行部数でイギリス最大の新聞に上り詰めます。
しかし、テレビや若者文化の登場を前に新聞業界が変革を迫られた1960年代、主要な読者層である労働者階級が高学歴化し、富裕化したと判断した『デイリー・ミラー』は高級紙化を試みるものの、これが裏目に出て、読者離れが進みます。また、新興大衆紙『サン』が『デイリー・ミラー』の読者を奪う形で急成長し、1970年代後半には発行部数が『デイリー・ミラー』を超えます。サッチャー政権下で進行した社会の保守化の下、『デイリー・ミラー』は逆風を浴びますが、労働者を主要読者とする左派系新聞との旗印を掲げ続け、競争激しいタ英国ブロイド紙市場を代表する新聞として発信を続けています。
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