Records of the U.S. State Department: East Germany and Berlin, Political and Governmental Affairs, February 1963-1966, Subject-Numeric File POL
1961年8月、ドイツ民主共和国(東ドイツ)はベルリンの壁を建設、東西ベルリンの交通を遮断します。ヴァルター・ウルブリヒト(Walter Ulbricht)第一書記を最高指導者とする社会主義統一党は西側からの情報を遮断するなど国内での締め付けを強めますが、その一方で社会主義体制の優位を示すために国内向けに自由化政策を推進せざるを得ない状況に置かれます。
1963年、社会主義統一党第6回党大会は「計画と指導の新経済システム」を決定、企業に経営や生産計画に関する一定の権限を委ねるなど、経済の自由化方針を打ち出します。また従来の工場労働者だけでなく、高度な専門知識を持つ人材を対象にした政策を立案し、科学技術の時代に即した政策の見直しを試みます。教育面では1965年に統一社会主義教育制度法を制定、科学技術を重視した教育改革を実施します。この間、労働者の所得は増加し、耐久消費財が普及、1966年には週休二日制が導入されるなど、1960年代に一般市民は一定の豊かさを享受するようになります。
国際関係では諸外国との外交関係の樹立に努めます。東ドイツを承認する国とは外交関係を結ばないとする1955年に西ドイツが表明した外交上の原則(ハルシュタイン・ドクトリン)は、東ドイツが諸外国との外交関係を樹立する妨げになっていました。1964年、ウルブリヒトは西ドイツのエアハルト首相にハルシュタイン・ドクトリンの放棄を求めるも拒否されます。しかし東ドイツと外交関係を結ぶ国は第三世界を中心に増加しました。
ソ連では1964年にフルシチョフが解任され、レオニード・ブレジネフが第一書記に就任します。ソ連の最高指導者が自由化を容認するフルシチョフから保守的なブレジネフに変わったことで、東ドイツの改革の行末は不透明になります。そして、1968年のプラハの春への介入を経て社会主義統一党内の保守派が勢力を巻き返す中、1971年にウルブリヒトは解任され、保守派のエーリッヒ・ホーネッカー(Erich Honecker)が第一書記に就任しました。
本コレクションは、1960年代半ばの東ドイツとベルリンの政治情勢に関する国務省の外交文書を収録するものです。国務省一般記録群(RG59)は1963年2月に、それまでの十進分類法(Decimal File)から主題・番号分類法(Subject-Numeric Files)へファイリング・システムが変更されました。収録文書は政治(POL)の大分類が与えられた約12,000ページの文書群を収録します。ベルリンの壁が建設された結果、東西ベルリン間の移動が制限され、西側の情報が遮断される中で、経済や社会の自由化が進められ、国民が一定の豊かさを享受した束の間の安定期における東ドイツの政治情勢が米国外交文書を通じて明らかにされます。
※1963年以前をカバーする 東ドイツ関係 米国務省文書集 1950-1963年 もあわせてご検討ください。
(マイクロ版タイトル:Records of the U.S. State Department: East Germany and Berlin, Political and Governmental Affairs, February 1963-1966, Subject-Numeric File POL)
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