The American Indian Movement and Native American Radicalism
アメリカ先住民の権利運動団体、「アメリカインディアン運動」に関する連邦捜査局(FBI)の約14,000ページにわたる捜査資料を収録。
FBIはアメリカインディアン運動が創設された1968年以来、同団体を過激派(Extremist)として捜査対象にしていました。情報提供者の報告や過激派捜査部(Extremist Intelligence Section)が集めた資料は、アメリカインディアン運動の組織、指導部、行動形態、思想的背景を詳らかにするものであり、ネイティブアメリカンの急進主義運動の発展を研究する上で不可欠の資料集です。
1950年代から60年代にかけての公民権運動と人種差別禁止の法制化は、ネイティブアメリカンにも大きな影響を及ぼしました。ミネソタ州ミネアポリスで1968年に創設されたアメリカインディアン運動(American Indian Movement)は、当初はネイティブアメリカンに対する警察の暴力の問題に取り組みために、地元のネイティブアメリカンの組織を束ねる役割を果たしていましたが、その後、議会へのロビー活動や州法の制定を中心に取り組んだネイティブアメリカンの初期権利擁護運動が実質的な成果を得ることができなかったという反省に立ち、アメリカにおける不正義という根源的なテーマをアジェンダの根幹に据え、ネイティブアメリカン関係の組織の中でも最も戦闘的で、急進的な性格を帯びるようになりました。
アメリカインディアン運動は新聞やメディアを使って、世論に向けてメッセージを発しました。1970年の感謝祭で、ピルグリムファーザーズのプリマス上陸350周年を祝う式典が開かれた時には、メイフラワー号のレプリカを奪う行為に及び、1971年にはラシュモア山を占拠、大統領選挙が行われた1972年には、大統領候補とネイティブアメリカンの問題に関する話し合うために「破棄された条約の旅(Trail of Broken Treaties)」と称する大陸横断の行進をワシントンD.C.まで行ない、ワシントンD.C.にあるインディアン局の本部を占拠します。1973年には、白人によるネイティブアメリカン殺人事件をきっかけとして発生したウーンデッド・ニー占拠事件(19世紀末にスー族が合衆国の騎兵隊に虐殺されたことで知られる)に数人のメンバーが参加、占拠は71日間に及び、期間中、合衆国政府との間で銃撃戦を交える事態に至りました。
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関連分野
- アメリカ史
- ネイティブアメリカン研究