The Meriam Report on Indian Administration and the Survey of Conditions of the Indians in the U.S.
先住民の共有地を細分化し先住民の各個人の所有に帰せしめるために1887年、ドーズ法(インディアン一般土地割当法)が制定されました。ドーズ法を制定した連邦政府の狙いは、先住民による独立自営農場を創出することにありました。しかし、ドーズ法は悪用され、税金や負債を支払うことができない貧しい先住民は配分された土地を非先住民に売却せざるを得ない状況に追い込まれたため、連邦政府の当初の狙いは外れました。
ドーズ法施行41年後の1928年、内務長官の命令の下、ドーズ法がもたらした結果を包括的に調査した報告書がロックフェラー財団の助成を受けて作成されました。報告書の作成にあたっては、社会学、家族、女性、教育、歴史、法律、農業、健康、研究法などの分野から選ばれた10人の専門家で構成される調査チームが作られ、26州の先住民保留地を調査対象として、学術的方法に則った調査が実施されました。
報告書を監修した政府研究所(Institute for Government Research、後のブルッキングス研究所)のルイス・メリアムの名前を取って「メリアム報告書」と呼ばれた報告書は、先住民の土地のおよそ半分が非先住民の所有に帰し、先住民保留地には貧困と病と憤怒の感情が高まったとして、土地の配分は先住民にとって災厄であったと結論付けました。
「先住民行政の問題」とのタイトルを付されたメリアム報告書はその後、先住民政策の誤りを告発したヘレン・ハント・ジャクソンの『不名誉の世紀(A Century of Dishonor)』(1881)以来の先住民問題に関する重要な文献と見なされるようになります。
メリアム報告書を受けて、連邦政府はウィーラー・ハワード法(1934年インディアン再組織法)を施行、先住民政策の見直しに取り掛かります。折からの大恐慌に妨げられ、完全な改革からは程遠いものであったとは言え、これはメリアム報告書で指摘された先住民の困窮状態を改善しようという連邦政府の試みでありました。
メリアム報告書が先住民へのニューディール政策の前触れとなったかどうかを巡っては、専門家の間でも意見が分かれます。1934年インディアン再組織法の先駆けであるとしてメリアム報告書を高く評価する研究者もいれば、先住民個人の所有を廃止し、かつての先住民の共同所有を復活させることを提言したジョン・コリアとアメリカインディアン防衛協会(AIDA)が提言した急進的プログラムと比べると、先住民が置かれている状況の根源的な原因を指摘するには至らなかったと、否定的な評価を下す研究者もいます。しかし、メリアム報告書は、米国先住民政策の転換を画した重要なドキュメントであることは衆目の一致するところです。
一方でメリアム報告書の発表後、議会上院は先住民の置かれた状況と政府の政策が与えた効果を究明し、先住民の置かれた境遇を改善するための方策を突き止めるべく、包括的な公聴会の開催を実施しました。足掛け15年間にわたり開催された公聴会の議事録は『アメリカ合衆国におけるインディアンの状態概観』として全41部、2万ページの報告書にまとめられました。
スー族、ナバホ族、クオポー族、チカソー族、アパッチ族、プエブロ族、ユト族、チェロキー族、シャイアン族、アラパホ族、キカプー族、クラマス族など先住民各部族の置かれた状況が克明に記録された貴重な歴史資料です。
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