The Chamberlain Papers: The Papers of Austen Chamberlain
本コレクションはバーミンガム大学図書館が所蔵するチェンバレン家文書よりオースティン・チェンバレンの文書を収録します。収録文書は歴代内閣の要職や保守党党首の地位にあったオースティンの足跡を克明に記録するとともに、その政策の背後にあった思想や歴代政権内での役割に光を当てます。妹や妻等の家族と交わした書簡も多数収録され、私生活での素顔も浮き彫りにします。特に、父の3番目の妻メアリー・エンディコット(Mary Endicott)とは歳が近かったこともあり、継母・継子の関係を超えた生涯の盟友として、多くの書簡が残されています。その他、私家版として印刷された『チェンバレン家とハーベン家に関する覚書(Notes on the Families of Chamberlain and Harben)』のために集められた文書も収録されています。
植民地相を歴任し、関税改革運動を推進したジョゼフ・チェンバレンの長男としてバーミンガムに生まれたオースティン・チェンバレンにとって政治家の道へ進むことは自然の成り行きでした。29歳の時に下院議員に選出され、父が植民地相として入閣した第三次ソールズベリ内閣では郵政大臣に就任し、続くバルフォア内閣では大蔵大臣を務めました。アスキス内閣ではインド大臣を務め、ロイド=ジョージ内閣では再び大蔵大臣に就任するなど、歴代内閣の重要閣僚を務めたオースティンは、文字通り20世紀初頭の英国政界の重鎮の地位にありました。しかし、その政治家としての試練と栄光は戦間期に訪れます。1921年、ボナ=ローの後を襲って保守党党首に就任したオースティンは、ロイド=ジョージ連立政権維持に努め、アイルランド独立戦争の講和条約締結のための英国使節団の一員として、英国・アイルランド条約締結に尽力しましたが、保守党内で連立政権からの離脱を支持する議員が多数を占める中で、保守党党首の座を追われました。その後、第二次ボールドウィン内閣で外務大臣に就任したオースティンは、ラインラントの非武装化とドイツ西部国境の現状維持を規定し、第一次大戦後のヨーロッパの安全保障体制を確立したロカルノ条約締結に至る交渉に関わり、調印に漕ぎつけ、加えてドイツの国際連盟加盟実現への道筋をつけました。この功績により、オースティンは1925年のノーベル平和賞受賞の栄誉に浴し、ガーター勲章をも授与されました。
(マイクロ版タイトル:The Chamberlain Papers, Series Two: The Papers of Austen Chamberlain)
《バーミンガム大学図書館所蔵 チェンバレン家文書集》
- ジョゼフ・チェンバレン文書集
- オースティン・チェンバレン文書集
- ネヴィル・チェンバレン文書集
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関連分野
- 政治学・外交研究
- 大英帝国史