The Telegraph Historical Archive, 1855-2016
イギリスの高級紙『デイリー・テレグラフ』の創刊号から2016年までの記事を原紙に忠実に再現、全文検索を実現したデータベースです。また、1961年創刊の日曜版『サンデー・テレグラフ』も同じく2016年まで収録します。
『デイリー・テレグラフ』は、イギリスで印紙税が廃止された1855年に創刊されました。印紙税廃止後に雨後の筍のように発刊された安価な新聞は「ペニー新聞」と呼ばれましたが、『テレグラフ』はその中でも1ペンスという低価格(当時『タイムズ』は7ペンス)ながら内容のクォリティを落とさずに他の高級紙と張り合ったことで飛躍的に購読者を増やすことに成功しました。
『テレグラフ』の低価格路線は広範囲の社会階層に新聞をもたらし、創刊10年後には、新聞界の巨人『タイムズ』を発行部数で追い抜き、その後は19世紀末に大衆紙『デイリー・メール』が創刊されるまで、自他共に認める発行部数最大の日刊紙として、一時代を築きました。
後発の新聞としてイギリス新聞市場を勝ち抜くため、『テレグラフ』は内容面でも新しい試みを実践する必要がありました。19世紀においてそれを体現した記者がジョージ・オーガスタス・サラ(1828-1895)です。サラは世界各地を飛び回り、リンカーン、ナポレオン3世、ガリバルディといった時の人へのインタビューを果敢に試み、その独特の文体とともに『テレグラフ』の看板記者としての名声を得ただけでなく、ジャーナリズムの新境地を切り開きました。
若きウィンストン・チャーチル(1874-1965)も『テレグラフ』と深いかかわりがありました。両者の関係は、チャーチルがまだ無名の20代の頃、インド北西部の英軍軍事作戦に青年将校として従軍して記事を寄稿して以来、半世紀以上にも及びました。第二次大戦前夜、ヒトラーに対するチェンバレン内閣の融和政策にチャーチルが反対の声を挙げたとき、『テレグラフ』はいち早く支持を表明、チャーチル首相就任のための世論を喚起しました。
ジョージ・サラ、チャーチルの他にも『テレグラフ』は多彩な記者、外国特派員によって支えられました。19世紀末に編集長を務めた詩人で東洋学者のエドウィン・アーノルド、普仏戦争のときドイツ軍のパリ入場を他紙に先駆けて報じたジョン・メリー・ル・サージュ、19世紀末のアルメニア人大虐殺を報じたエミール・ジョセフ・ディロン、20世紀前半の名物コラムニスト、ジョン・ベンジャミン・ファース、第一次大戦時の英軍のガリポリ作戦を克明に伝えたエリス・アシュミード=バートレット、第二次世界大戦の火蓋を切ったドイツ軍のポーランド侵攻をスクープしたクレア・ホリングスワース、さらには論説委員のマルコム・マッゲリッジ、演劇評のクレメント・スコット、文芸批評・建築批評のジョン・ベッジュマン、ジャズ批評のフィリップ・ラーキン、訃報記事のヒュー・モンゴメリー=マッシングバードら第一級の記者、ライターがテレグラフを支えました。
20世紀に入ると、大衆紙との競争に晒された『テレグラフ』は一時的に低迷しますが、1937年に1772年創刊の『モーニング・ポスト』を買収、第二次大戦前夜、チャーチル入閣を支持した時、発行部数を急増させます。以後、イギリス高級紙では最大級の発行部数を維持しています。
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※『テレグラフ』の他、『タイムズ』、『デイリー・メール』、『ミラー』、『インディペンデント』、経済紙『フィナンシャル・タイムズ』、パリ発行の英字紙『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』の計7紙それぞれの特色と違いをご紹介します。(約40分・字幕・チャプターあり、スライドはこちら)
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